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  広島市にとって、そして広島市民にとってこれからの5年間、”被爆80年”に至るまでの時間は、これまでになく大切なものとなるでしょう。なぜならば、実際に被爆を体験された被爆者の皆様が高齢となり、語りたくても語れなくなります。また、被爆の実相をその壁面や内部に留めた被爆建物も、経年劣化により次々と朽ち果てて行きます。躊躇したり議論を尽くしている時間は残されていません。特に地元の政財界、マスメディアの方々には是非とも自覚して頂きたい。最早、「行動あるのみ」であることを。

 

  ご周知の通り広島市議会では現在、各派代表の市議によって構成された政策立案検討会議が『広島市平和の推進に関する条例』(仮称)の素案をまとめ、来年2月開催予定の市議会定例会に提出すべく準備を進めています。この素案の前文では、同市はこれまで、

「核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を願うヒロシマの心の共有を訴えてきた」が、

「被爆75年を迎え、被爆者の高齢化が一段と進み、被爆体験を直接聞き知る機会が失われつつある」こと重く受け止め、この条例によって、

「平和の推進に関し、本市の責務並びに市議会及び市民の役割を明らかにするとともに、本市の施策の基本となる事項を定めることにより、平和の推進に関する施策を総合的かつ継続的に推進し、もってヒロシマの心である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に寄与することを目的とする」(第1条)と記されています。

 

  私は、被爆地・広島市がこの時期、こうした”ヒロシマの心”を改めて条例化することに大きな意義を見出します。何よりも「大義」を明文化することが重要です。

その上で、私見を述べさせて頂くとすれば、この条文からは被爆という”負の遺産”をいかに伝承して行くか、といった点にのみ重点が置かれ、こうした”負の遺産”をいかに”正の遺産”、広島市の未来へと繋げて行くか、昇華して行くか、といった視点がまったく見えて来ません。将来を見据えたヴィジョンが欠けているように思われます。21世紀の広島市が目指す未来像はどこにあるのか? 

単に「継承・保存する」といった論旨に留まるのであれば、これまでの議論の焼き直しに過ぎず、「市民の理解と協力の下に」とありますが、若年層や新たに広島市に移入した方々の理解を得ることは難しいでしょう (この点は、被服支廠倉庫の全棟保全を求める方々とも通底する後ろ向きの志向性が見え隠れしています)。”負の遺産”に拘泥し続ければ、被爆体験はやがて教科書や博物館の中だけに残る”歴史“の1ページに収まり、血の通った「継承」は望めなくなるでしょう。

また、これはあくまでも条例なので「施策」、アクション・プランについては追って検討し、制定する、ということなのでしょうが、条文に「どのような形でいつまでに定める」といった付帯条項がなければ、いつまで経っても観念論に終始し、結局のところ何ら具体的かつ建設的な方策は打ち出せなかった、手遅れだった、となることは目に見えています。

 

繰り返しになりますが、被爆者の皆様の生の声に耳を傾けながら未来像を構築するための時間は、あと僅か5年ほどしか残されてはいません。泣いても笑っても、もう先送りは出来ません。すぐにでも「5年計画」を立案し、着手しなければ間に合わない。

報道によれば検討会議は来年1、2月に、素案に対する市民の意見を募集するとあります。広島の皆様には是非とも、次世代の広島市民のために、そして「平和」を希求する世界中の人々のために、「守り」ではなく「攻め」の姿勢で、広島市の未来を考えて頂きたい。「国際平和文化都市」を標榜する広島市は、過去に埋没するのではなく、より良き世界の指針となるべき重大な使命を担っています。