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第二回『NIKKEI 全国社歌コンテスト』の告知と募集要項が掲載された一昨日発売の『日本経済新聞』の紙面。

 

  社歌と云えば、全体主義=軍国主義といった短絡的な発想をされる方が、思いの外多いようです。この国ほど、近代産業史が軽視されている国も少ないでしょう。大手企業であっても、記念すべき自社製品第1号を保存されていないケースが多々あります。明治維新以降、西洋に追いつけ追い越せを合言葉に、ひたすら前を向き猛進して来たため、己の足跡を残す余裕などなかったとも云えます。況してや企業文化ともなれば尚更です。

 

  私が取材し、確認出来た範囲内で云えば、最も古い社歌は南満州鉄道、いわゆる満鉄の社歌で、大正6年に初めて歌詞が募集されています。14年に再び公募されると『満鉄の歌』として愛唱され、昭和11年に正式採用されました。云うまでもなく同社は、欧米列強と肩を並べるべく政府の肝いりで設立された国策会社です。

 

しかしながら、社歌のルーツはさらに遡ることが出来ます。明治34年に東京・銀座の岩谷商会が『東雲節』の替え歌『天狗煙草当世流行節』を作ったのが、今で云うところのCMソングの走りとされていますが(楽隊広告)、株式会社といった新たな企業形態が広まるにつれ、組織体における歌の重要性が認識されるようになります。

大正期に入ると「工場音楽」と称される楽曲が生まれました。日本経済の屋台骨を支えていた繊維産業を中心に、職工たちが作業中に口々に歌詞を紡ぐリクリエーションが、福利厚生の一環として人気を博します。こうした労働者の愛唱歌は、折しも大正6年に勃発したロシア革命によって誕生した『インターナショナル』のような労働歌の流行と相まって、会社の歌「社歌」の誕生へと繋がって行きます。

 

 

社歌は、好況期か不況期にブームが訪れます。景気低迷に新型コロナウイルス禍が重なり、先行きがまったく見えない今、日本独自の企業文化である社歌に再び注目が集まっています(5年ほど前に私が提唱した"第 4次社歌ブーム"といった位置づけが定着してます)。日本企業はかつて、組織力によって世界第 2位の経済大国にまで伸し上がりました。欧米とは異なりこの国は、天才的なヒーローによって成功を収める企業風土は持ち合わせていません。戦後最大の難局を乗り切るためには、何としても社員の力を集結し、粘り強く好機を待つしかありません。歌は、そして歌うという行為は、時として想像を超える力を発揮するものです。さぁ、今こそあなたの社歌を聴かせて下さい♪

 

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