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被爆体験を語ることは、私たちが考えるほど生易しいものではありません。自分事として考えてもみて下さい。長い人生の中で、最も苛酷で非情で惨めだった刻を、喜び勇んで語るひとなどどこにもいません。親兄弟が目の前で黒焦げとなったこと、炎に包まれ「助けて!」と泣き叫ぶ人々に手を貸さずに逃げたこと、そこここに散らばる遺体を踏みつけ、踏みつけ先を急いだこと。誰が、誰がそんな地獄を話したがると云うのでしょうか。被爆者の皆さんは身を切り刻みながら、心を切り裂きながら、言葉を絞り出しておられます。

 

多くの方々が、70歳を超えてから被爆体験を話し始めていらっしゃいます。それまで家族にさえ話さなかった、話すことの出来なかった悪夢のような日々。出来れば貝のように口を閉ざし、墓場にまで持って行きたかった体験談を「このままでは原爆のことが忘れられてしまう」と、悲愴な決意を胸に話されています。

被爆の惨禍をまぢかで見聞きした生き証人として、このまま何も語り継がずに死んでしまうわけにはいかない。亡くなった人たちの無念の想いを無駄にしてはならない。原爆が再び使われることがないように、核兵器の恐ろしさを訴え、平和の尊さを伝えるために、勇気を振りしぼって話しておられるのです。私たちは、その重みをしっかと受け止めねばなりません。

 

広島平和文化センターが委嘱する被爆体験証言者は現在39名。ほんの数年前まで、お亡くなりになる、または健康を心配されたご家族の希望で引退される方は毎年12名といったペースでしたが、一昨年度は 8名が名簿から消え、高齢化に伴い減少率は加速度を増しています。あと5年もすれば、私たちに直接、被爆体験を話して下さる方は数えるほどしかいらっしゃらなくなるでしょう。被爆体験の風化などと口先だけで憂いていても、何も変わりません。被爆者は、「過去形」ではなく「現在進行形」なのです。

 

さて、あの日のあなたの体験に耳を澄ませ、目の前に座っている子供たちは、大変なショックを受けていることでしょう。人生は光と影。光が強ければ強いほど、その影は濃くなります。皆さんが被爆前の楽しかった想い出を語られたことで、原爆の怖ろしさ、非道さは子供たちのこころに、よりくっきりと輪郭を持って刻み込まれたはずです。

 

続いて、皆さんにとって、また子供たちにとっても辛く、苦しい時間となりますが、戦後の体験を話してあげて下さい。原爆症で亡くなった家族や友人を看取ったこと、原爆傷害調査委員会(ABCC)で受けた屈辱、被爆したがために蒙った社会的差別の数々、今もからだを蝕む原爆症。皆さんと時間空間を共有した子供たちは、その惨禍が実は今も脈々と続いている。時計の針は止まっていないことを実感することでしょう。

被爆という地獄は、あの日で終わったわけではなく、今も続いている。子供たちは、昭和2086日という「点」と、今この瞬間という「点」を、「線」で結ぶことが出来ます。歴史を立体的に体感することとなります。また、そうした「いじめ」や「差別」は、程度の差こそあれ、子供たちにとっても身近な痛みであり苦しみです。自分自身が抱える苦悩と皆さんの苦悶とが重なり合うことで、こころは共振し合うこととなります。

 

そして最後にもう一度、皆さんが今、「楽しいこと」、「幸せを感じること」を話してあげて下さい。それによって、子供たちの沈み込んだ気持ちは救われます。また、子供たちは人間というものの強さ、素晴らしさを学ぶこととなります。「これまで些細なことでくよくよしていた自分は一体何だったのだろう」、「すぐに諦めてしまっていた自分と比べてこの人たちは何と逞しいことだろう」。彼らの多くは生まれて初めて、ひとを尊敬するとはどういうことか知るでしょう。

 

短時間のうちに子供たちは「天国」と「地獄」といった非常に振り幅の大きな世界を往き来することとなります。精神的にも負荷のかかる濃密な時間です。しかしながら、皆さんがメリハリを付けた語りをされることで、この一期一会の出会いは、彼らにとって一過性ではなく、長くこころに留まる、場合によっては彼らの生き方をも変える尊い時間となるでしょう。

次回をもってこの連載は終了します。

 

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