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型に嵌まった発想しか許されない(?) 政治記者の皆さんは、菅義偉氏を誉めるにせよ貶すにせよ、さも忠誠心溢るる気配りの人として描きたがっているかのように見受けられます。ところがどっこい古今東西、程度の差こそあれ、前任者の政策をまともに「継承」した為政者なんぞ、講談の世界でしかお目にかかったことがありません。昨日の友は今日の敵、は政界の常道です。情に棹さして成り上がれた議員などいた試しがない。側近中の側近であれ、それは昨日までのこと。己の身に火の粉が降りかかれば、ありとあらゆる手札は切るでしょう。

そう云えば以前、私の実家にほど近い港町から選ばれて、「皆さんの要望は必ずや政策に反映します!」と力説して各派閥の支持を取り付けたものの、トップに立つや否や、「何のことでしょう?」と反故にしてしまった政治家さんがいらっしゃいました。

 

あくまでも個人的見解ですが、菅氏が云うところの「継承」とは、「官僚組織との対立軸」なのではないか、と考えます。ご周知の通り、大久保利通が明治6年に内務省を設立して以来、近代を通じて我が国の内政はほぼ同省が全権を掌握し、主導していました。軍部の台頭に呼応して国家精神総動員運動を推進したのもまた内務省であり、末期には官邸を遙かに凌ぐ影響力を有するまでに肥大化していた。

 

内務省は、昭和22年にGHQの指令により廃止されましたが、ある意味、日本人の体質気質に合った”官僚政治”は戦後も脈々と受け継がれ、我が国の戦後復興を牽引し、遂には経済大国にまで押し上げた。といった”功”もあれば”罪”もあります。予算の作成・審査・管理(根回し)はもちろんのこと、法案の作成、政策の立案と施策に至るまで、(議員立法を除けば)官僚が執り行っている。国民によって選ばれたわけでもない高級官僚たちが国政を”仕切る”、つまり議会が軽んじられていることに不満は持つ政治家はこれまでにも山ほどいたわけですが、専門知識を有するエリート集団と相対するには、田中角栄氏ほどの胆力がなければ太刀打ち出来るはずもありません。多くの議員は官僚の”操り人形”と成り果ててしまった。

東京大学は我が国の最高学府と云われますが、東大卒の総理大臣は、(1年も保たなかった鳩山由紀夫氏を除けば)中曽根康弘氏が最後(東京帝大卒ですが)。つまり戦後は、悲しいかな総理大臣というポジションは、日本のエリート層にとっては魅力的なポジションではなくなってしまったわけです。

 

こうした官僚王国に初めて切り込んだのが無党派の小泉純一郎氏だったように思います。”聖域なき構造改革”と称し、郵政・道路公団の民営化を始め財政投融資の改革にも手を付け、官僚組織の切り崩しにかかりました。国民は拍手喝采。しかしながら、結果的には我が国の国際競争力は低下し、経済は疲弊し、深刻な社会格差を生み出すことにもなった。この構造改革路線を引き継いだのが安倍晋三氏だったわけです。

 

「神輿は軽い方がいい」と言ったのは、小沢一郎氏の秘書だったと云われていますが、安倍氏をトップの座に押し上げたのは官僚組織です。ところが彼は、想定外に「軽かった」。類は類を呼ぶの言葉通り、お友達の面々も驚くほど軽かった。百歩譲ってここまでは良しとしても、何を勘違いしたのか官僚人事にまで介入し始めた。これは高級官僚にとってはまったく予期せぬ出来事であったに違いありません。歴代内閣でこの政官間の不文律を犯した者はひとりもいなかった。

ここまで「軽い」とは思わなかったというのが本音でしょうが、すでに後の祭り。ミイラがミイラ取りになるが如く、首根っこをつかまれてしまった。業を煮やした官僚組織は、次から次へと罠を仕掛けて来ましたが、これがまた不思議なことにするりするりとすり抜けて行く。まさに前政権は正攻法がまったく通じない。受験勉強の権化のような高級官僚にとって安倍氏という政治家は、まさに鵺のような存在だったのではないでしょうか。

 

 万事休す。ところがやはりこれだけの大改革を実行する器ではなかったのか。モリカケを啜ったり、桜を愛でるなど自ら不祥事を引き起こし、オウンゴールを連発。構造改革を叫ぶ一方で、官僚が作成した答弁書を棒読みしているようではお話になりません。頭脳集団には勝てるはずもない。さらには主権者である国民は蚊帳の外では、売り家と唐様で書く三代目だったとしか云いようがありません。

 

翻って菅氏はどうか。とにもかくにもこのお方、脛に疵持つ面々の疵を、派閥どころか政官にわたり把握しているだけに、何とも扱い辛い。まったくもって自民党は、とんでもない人物を総裁に据えたものです。ここら辺りの人選にも、今の同党に漂う小物感、おぼっちゃまサークルならではのナイーヴさが見て取れます。

叩き上げを舐めると痛い目に会います。銀の匙を咥えて育った人間には、8年間もの長きにわたり「押忍っ!」と云い続けることなど想像すら出来ないでしょう。しかしながら世の中には、それに耐えられる人間がいる。将棋の腕は五段。”不器用な”自身を「香車」になぞらえておられるとか。はてさて、そろりと動いて「成香」となりますでしょうか。まずは「継承」を粧って来るでしょうか、第一次菅内閣の布陣やいかに。そろそろ開演のブザーが鳴るようです。

 

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