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愈々今晩、東京2020オリンピック競技大会の開会式が挙行されます。依然として国内、特にネット上では、開催そのものの是非を問う声が数多く聞かれます。世界中の人々がスポーツを通じて”戦場ではない地”に集い、相互理解を深めるための”祭典”が、このように歪で醜悪な形で開催せざるを得なくなったこと、この千載一遇のチャンスに私たちの美徳である”おもてなし”が発揮出来なくなることについて、一日本国民として慚愧の念に堪えません。

 

こうした反対運動が開催国で巻き起こった事例は近代オリンピック史上、決して珍しいことではありません。古いところでは宗教的理由から国民の猛反発に遇い、政府が資金援助を断念し日曜日の試合を回避することで何とか開催に漕ぎ着けた第9回アムステルダム大会(1928年)が挙げられます。

今大会の開催・運営が不安視されている最大の要因は、世界中を恐怖のどん底に陥れている新型コロナウイルスの感染拡大にあります。また、明確なヴィジョンを持って感染対策に臨まなかった、国民に対する丁寧な説明を怠った日本政府、そして1980年代から肥大化し続ける金権体質を改善出来なかった国際オリンピック委員会(IOC)、招致時に掲げた”復興五輪”といった基本理念を完遂出来なかった東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(組織委員会)の責任は厳しく問われて然るべきです。

 

しかしながら今回のオリンピック開催の是非を巡っては、オリンピック・ムーブメントの本質が論じられることは殆どなく、政府批判と混同された議論が多数を占め、声高に「破壊」を叫ぶばかりで、開催国といった立場を最大限に活かし、私たち日本人の手で世界的イベントであるオリンピックを改革しようといった気概、冷静に「再建」を目指そうといった動きが、まったくと云って良いほど見られなかったことは残念でなりません。すべては受け身。無責任な批判だけなら誰にでも出来ますが、それでは「変革」には繋がりません。「最後まで反対したことを示しておきたかった」といった言い草に至っては、自己満足以外の何物でもないでしょう。コロナ禍によってこの国に蔓延する深刻かつ過敏なストレスと、事ある毎に立ち現れる付和雷同な体質を改めて見せつけられた思いです。

 

   先月18日に発表された専門家有志による『2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会開催に伴う新型コロナウイルス感染拡大リスクに関する提言』は隅々まで拝読させて頂きました。2012年に制定された新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づき組織された新型インフルエンザ等対策推進会議を率いた尾身茂氏を筆頭に、新型コロナウイルス感染対策の最前線で闘い続けて来た専門家集団による建議であるだけに、精緻に分析された国内の感染状況とリスク解析、感染拡大リスクの軽減策には説得力があり、極めて重要な提言であると受け止めました。

「本大会に関連するリスクの評価及びそのリスクの最小化に向けた私たちの考えを述べることが責務」といった一文に、専門家としての矜持が滲み出てもいました。ただ、サイエンティストの常道として、彼らは常に”最悪の事態”を想定していることは心に留めておくべきでしょう。

 

   一方で、日本政府が新型コロナウイルス感染対策に失敗した、といった議論もありますが、昨年の第一波において提唱された「三密」から始まり緊急事態宣言の発出、オリンピック競技場における無観客対応に至るまで、新型コロナウイルス感染症対策分科会が提案した指針を政府は、結果的にほぼ丸々受け入れ、政策に反映しています。そのため我が国は、一定の人口規模を有する先進国の中では”奇跡”とも称されるほど新型コロナウイルス感染拡大の抑え込みに、少なくとも現段階においては成功しています。これは米国における死亡者総数が60万4546人、英国が12万8896人、ドイツでも約9万1458人に上っていることからも明らかです(我が国は昨日段階で1万5108人)。

しかしながら本来、政府というものは専門家が想定する”最悪の事態”に真摯に耳を傾け受けつつも、国民の命はもちろんのこと生活や事業を守るため、様々な観点から検討を加えた上で、最も効果的な政策を構築し、実行に移すのが務めです。でなければ案山子と同じであるにも関わらず、前政権ならびに現政権には知見もなければヴィジョンもなかった。独自に打ち出した施策がマスク配布であり、Go To トラベルであり、酒提供禁止といった悪手ばかり。遂には、酒類を提供する飲食店が休業要請に応じなければ金融機関に店舗情報を提供するなどといった暴力団紛いの脅しをかける始末。これでは疲弊した国民の信頼など、到底得ることなど出来ません。こうした無策、無能な政府を私たちが戴いたことが、想定され得る”最悪の事態”であったと云えるでしょう。

 

今大会との類似点が認められるのは1920年に開催された第7回アントワープ大会です。当時、スペイン風邪(H1N1新型インフルエンザウィルス)が世界的に大流行し、世界人口の約3割にあたる5億人が感染。4500万人もの死者が出たと伝えられています。同大会に出場し、テニス男子シングルで日本初のメダル(銅)を獲得した熊谷一弥選手は、その自伝『テニスを生涯の友として』の中で、「設備も不完全、秩序不整頓」であったため、「これがオリンピック大会の晴れ舞台とはお世辞にも申しがたい」と不満を書き残しています。様々な政治的暗躍もあり同・大会は、オリンピック史においては「第一次世界大戦からの復興」、「未曾有のパンデミックの克服」といった美辞麗句と共に記録されていますが、その実態は惨憺たるものでした。

 

私たちは例え、金メダルを幾つ勝ち取ろうが、決して忘れることはないでしょう。感情に駆られた怒りや醒めた嘲笑は、やがて喪失感に取って替わられます。「こんな恥ずべき日本が世界に晒された」。壮大なる敗北感。惨めな気持ちで大会を終えた後、私たちは一様に、なぜもっと早く気づかなかったのだろう、適切な対応が出来なかったのだろう。果たして私たちはオリンピック・ムーブメントというものを本当に理解していたのだろうか。本気で関われば、もっと素晴らしく、意義のある大会に出来たのではないか、といった悔恨の念に襲われるでしょう。

その時、いくら「私は開催に反対していた」と胸を張ろうが、傷ついたプライドを癒やすことは出来ません。なぜならば、批判することにのみ浮かれていたあなたは結局のところ、何もしなかった傍観者に過ぎないからです。選手のみならずこの8年間、汗水を流しながら黙々と、この日のために”夢”を追い続けた人々がこの世界には五万といたことを忘れてはなりません。オリンピックは開催国のものでも、況してや先進国だけのものでもない。愈々今晩、ファンファーレのないオリンピックが幕を開けます。