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  1964年10月10日午後3時10分。埼玉県・航空自衛隊入間基地を飛び立った5機の F-86から成るブルーインパルスは、真っ青に澄み渡った東京上空3,000メートルに5色のスモークで直径1,800メートルの五輪マークをくっきりと描きました。まさに、この国の戦後復興を彩る鮮やかで、とてつもなく大きな5つのサークルでした。

 

  当時、日本の実質GDPは106.8兆円。新興国の雄として経済規模は世界第5位にまで膨らんではいたものの、世帯収入は僅か58,217円/月に過ぎませんでした。第二次世界大戦の敗戦により、国連には「新たな侵略を防止する責任を負うまで」は敵国条項の対象国と見做され、先進国からは「アジアの小国に、オリンピックなど開けるわけがない」と、冷ややかな目で見られていました。こうした国際世論を一掃したのが、ひとりの男のスピーチであったことはあまり知られていません。

 

1959年、西ドイツ(現・ドイツ連邦共和国)のミュンヘンで開催された国際オリンピック連盟(IOC)総会で当時、日本放送協会(現・NHK)の解説委員であった平澤和重氏は、オリンピックを東京に招致すべく、外務省アメリカ局第一課を経てニューヨーク総領事を務めた英語力を活かし、

「日本の子供たちは、その目でオリンピックを見られることを、どれほど待ち望んでいることでしょう。日本を極東(Far East)と呼びますが、ジェット機が飛ぶ今では、もはや遠い(Far)ではありません。遠いのは国同士、人同士の理解です。西洋に咲いたオリンピックという花を東洋でも咲かせて頂きたいのです」と、六年生向けの国語教科書を右手に高々とかざしながら、1時間と定められた持ち時間をわずか15分で切り上げ、並み居る委員らを唸らせました。何を隠そうこの名演説が、オリンピック招致の決定打となりました。

 

それから54年を経て安倍晋三前首相は、アルゼンチン共和国の首都ブエノスアイレスで9月7日に開催されたIOC総会において、「(東日本大震災による津波に襲われた)フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています」(Some may have concerns about Fukushima. Let me assure you, the situation is under control.)と、豪語して見せました。

まさに政権党首としての奢りと、野党に対する執拗な復讐心が生んだ勇み足の極みであったと云えるでしょう。あの時、彼が「東京電力福島第1原子力発電所は未だ完全閉合には至っておりませんが、オリンピック開催に向けて、全力で解決して行く所存でございます」といった類の招致スピーチを行っていれば、国民の反応も今とはまた違っていたものとなっていたはずです。

さらには、1年間の延期が決まった際にも「今後人類が新型コロナウイルス感染症に打ち勝った証しとして、完全な形で東京オリンピック・パラリンピックを開催するためにIOC、バッハ会長と緊密に連携をしていくことで一致をしたところであります。日本は日本として、開催国の責任をしっかり果たしていきたいと」と、記者団に語り(昨年3月24日)、新型コロナウイルスの感染拡大に対する甘い見通しに基づく強硬姿勢で国民を翻弄します。2013年の招致段階から、ボタンの掛け違えはすでに始まっていました。

 

一方、日本国民もオリンピズムの現代的意義を何ら理解することなく、近視眼的かつ感情的な政府批判に終始したことから、満足の行く国際的スポーツ・イベントを執り行うまでには至りませんでした。このブログでも何度か言及しましたが、オリンピック開催反対派に圧倒的に欠落していたのが、「オリンピックは開催国のものでも、況してや先進国だけのものでもない」といった基本原理でした。

57年前、日本は未だ豊かとは言い難く、国際社会からは2等国、いやアジアにおける侵略戦争を主導した信用ならない国と見られていました。それだけに国民は、大会運営費に競技施設・インフラの整備費を加えると9873億6300万円にも上った膨大な開催経費を、歯を食いしばりながら捻出し(当時の国家予算は約3兆1554億円)、結果的に”一流国”の仲間入りを果たすことが出来ました。

 

私たちはこうした”成功体験”を未だ忘れられず、「いまさらオリンピックをやったところで何の得になる? 負のレガシーを残すだけじゃないか」といった”正論”を口々に叫びました。決して誤りではありません。しかしながら、事の善し悪しはさて置き肥大化したオリンピックには、膨大な資金が必要なことは予めわかっていたことです。特に今世紀に入り、開催経費はいずれの大会も1兆円を超えています(最高額は2014年にロシア連邦のソチで開催された第22回大会の約5兆円)。

ここでIOCが金権体質を根本的に改めなければ、オリンピックそのものが存続出来なくなることは自明の理です。事実、経済的にオリンピックを開催出来る国は最早数カ国しかなく、招致に手を挙げる国も激減しています。それだけにIOCに加盟する大多数の国々にとって限られた開催国は、57年前の私たちがかつてそうだったように"憧れの地"でもあるわけです。

 

このように、オリンピック自体が今や「経済的に豊かな国」が、「貧しい国」のアスリートに国際デビューの機会、活躍の場を与える”ボランティア・コンテンツ”となっています。こうした現実を認識した上で、それでも受け入れるのかどうか、が招致・開催のポイントなのです。変容したオリンピックの現代的意義について、文化人はもちろんのことマスメディアも、おそらくは東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会さえもが理解してはおらず、未だにオリンピックは「金の成る木」と認識していたため、現実との矛盾が顕在化し、不幸にも国論を二分する事態を招いてしまいました。

 

  唯一の救いは、国内の評価とは異なり、国際社会が今大会を極めて高く評価していることでしょう。仕事柄、米英の主要紙はチェックしていますがパンデミックの最中にも関わらず、多大な財政支出をも厭わず開催したことに対して、各国からは賞賛の声が挙がっています。事実、新型コロナウイルスの感染状況を不安視し、我が国の管理運営能力を疑問視していれば、205もの国と地域から1万人以上もの選手やスタッフがわざわざ日本にまでやって来ることはなかったでしょう。

また、日本のマスメディアが積極的に取り上げることはありませんでしたが大会期間中、参加した当の選手たちがこぞって母国に向けて「いかに選手村が充実しているか」、「ボランティアがどれほど献身的か」を、InstagramやTwitterを通じて猛烈な勢いで発信してくれていました。それもこれも、こうした”場”を作ってくれた我が国に対する感謝の気持ちの表れであったからに他なりません。私たちはこの8年間で何を失い、何を得たのか。その答えは、まだ出てはいません。

 

  今年7月23日午後0時45分、開会式当日。東京・新宿上空に1番機を含む6機の純国産ジェット練習機T-4から成るブルーインパルスが描いた5つの輪は、低く垂れ込めた雲によって、地上からは目視することが叶いませんでした。様々な議論を巻き起こした東京2020オリンピック競技大会は今日、全行程を終え、閉幕します。