1945年 (昭和20年) 8月9日。原爆投下から15分後に香焼島 (現在は埋立てにより陸繋島となっています) から撮影されたキノコ雲。
昨年、10数年振りに長崎の地を訪れたことで、同地に対する理解をほんの少しばかり深めることが出来ました。被爆地・長崎市はこれまで、事ある毎に戦時下における人類初の被爆地である広島市と比較され続けて来ました。
中心市街地に原爆が投下された広島市と、様々な歴史的背景を持つ浦上地区が標的となった長崎市とでは、地理的条件や被害規模など異なる要因が幾つもあります。そのため、戦後復興のプロセスにおいても大きな差異が生じることとなりました。
同市が掲げる「長崎国際文化都市建設法」 (法律第二百二十号) は、1949年 (昭和24年) 5月11日、広島市の「広島平和記念都市建設法」と共に衆参両院で可決され、住民投票を経て (賛成比率 98.6%)、同年8月9日に公布・施行されました。
ここで注目されるのは、広島市が名称に「平和」の二文字を用いているのに対して、長崎市は「文化」を採用している点です。これは拙著『平和の栖〜広島から続く道の先に』でも明らかにしたように、先行して法制化を推し進めていた広島市のために、自ら草案を作成した同市出身の寺光忠 参議院議事部長 (当時) が、頑として「平和」の二文字は譲らなかったからに他なりません。
このため両・建設法の文面は殆ど同じですが、広島市は「平和記念都市として建設する」と規定し、長崎市は「国際文化都市」と記しています (第一条)。
大橋博 長崎市長 (当時) は、「原爆の地、長崎の復興は一人郷土市民の熱望するところであるのみならず、日本再建のバロメーターとして全世界の人々の注視するところ」であると論じていますが (『新長崎市史』第四巻 現代編)、実際は抽象的な「平和」といった理念よりも、固有の文化や国際的風土を活かした復興計画、現実路線を目指した。つまりは被爆を免れた市中心部に位置する歴史的文化財群を活用した観光振興による経済復興を選択したと云えます。
ここで事の優劣を論じるつもりは毛頭ありませんが、両市は同じ被爆地でありながらもその出発点において、すでに違う景色を見ていた。それが「怒りのヒロシマ 祈りのナガサキ」と称される原点であり、共通項を見出し辛い要因でもあります。
長崎市は被爆79年を経て、被爆の実相そして被爆体験の継承において、広島市とは異なる独自のスタンスを打ち出せるのか。今こそ長崎市には、「ナガサキ・モデル」とも呼べるような斬新かつ普遍的なアプローチを創出して頂きたいと願わずにはいられません。被爆二世である鈴木史朗 長崎市長の手腕に期待したいところです。
参考までに、今となっては長崎市民も大半が知らないであろう「長崎国際文化都市建設法」 (全文) を以下に引用しておきます。
(目的)
第一条 この法律は、国際文化の向上を図り、恒久平和の理想を達成するため、長崎市を国際文化都市として建設することを目的とする。
(計画及び事業)
第二条 長崎国際文化都市を建設する特別都市計画(以下国際文化都市建設計画という。)は、都市計画法(大正八年法律第三十六号)第一条に定める都市計画の外、国際文化都市としてふさわしい諸施設の計画を含むものとする。
2 長崎国際文化都市を建設する特別都市計画事業(以下国際文化都市建設事業という。)は、国際文化都市建設計画を実施するものとする。
(事業の援助)
第三条 国及び地方公共団体の関係諸機関は、国際文化都市建設事業が第一条の目的にてらし重要な意義をもつことを考え、その事業の促進と完成とにできる限りの援助を与えなければならない。
(特別の助成)
第四条 国は、国際文化都市建設事業の用に供するために必要があると認める場合においては、国有財産法(昭和二十三年法律第七十三号)第二十八条の規定にかかわらず、その事業の執行に要する費用を負担する公共団体に対し、普通財産を譲与することができる。
(報告)
第五条 国際文化都市建設事業の執行者は、その事業がすみやかに完成するように努め、少くとも六箇月ごとに、建設大臣にその進捗状況を報告しなければならない。
2 内閣総理大臣は、毎年一回国会に対し、国際文化都市建設事業の状況を報告しなければならない。
(長崎市長の責務)
第六条 長崎市の市長は、その住民の協力及び関係諸機関の援助により、長崎国際文化都市を完成することについて、不断の活動をしなければならない。
(法律の適用)
第七条 国際文化都市建設計画及び国際文化都市建設事業については、この法律に特別の定めがある場合を除く外、特別都市計画法(昭和二十一年法律第十九号)及び都市計画法の適用があるものとする。
附 則
1 この法律は、公布の日から施行する。
2 この法律施行の際現に執行中の長崎特別都市計画事業は、これを国際文化都市建設事業とし、第二条第二項の趣旨に合致するように都市計画法第三条の規定による手続を経て、これを変更しなければならない。
(内閣総理大臣・法務総裁・外務・大蔵・文部・厚生・農林・通商産業・運輸・郵政・電気通信・労働・建設大臣・経済安定本部総裁 署名)
被爆直後に撮影されたカトリック浦上教会 (浦上天主堂)。広島市の原爆ドームと同じく保存するか、それとも再建するか。被爆建物の扱いにおいても両市の方針は分かれました。