大統領選挙直前に、釜山からソウルまで全国縦断遊説を行った金泳三候補 (著者撮影)。
私が初めて大韓民国を訪れたのは1987年 (昭和62年)、極寒の12月でした。同年6月には、大統領直接選挙制にかかる改憲を求める民主化運動が全国的な高まりを見せ (6月民主抗争)、晴れて国民の直接選挙が実現した初の第13代大統領選挙を取材すべく、ひとり玄界灘を渡りました。
政治の季節。国軍により少なくとも200人の市民が虐殺された光州事件 (1980年5月) を経て、同国の民主化は、この時初めて産声を上げました。
未だ駆け出しのジャーナリストであった私は、釜山で大統領選のプレスカードを取得し、統一民主党の大統領候補であった金泳三氏 (後の第14代大統領) の全国縦断遊説に同行しました。
釜山からソウルまで約325キロ。木枯らしが吹きすさぶ中、組織に属さない私のようなフリーランスは天蓋のないトラックの荷台に積まれ、三日三晩かけて大邱から大田を経て首都ソウルへ。鼻水が凍てつくほどの強行軍であったため、厳戒態勢下のソウル特別市に入り、暖房の効いた報道関係者専用バスに乗り換えた時は、さすがに生き返った心持ちでした。
ソウルでは、遊説中に知り合った韓国人カメラマンと共に市内を駆けずり回りました。地下鉄駅構内には催涙ガスが充満し、延世大学の校門前では連日、ヘルメットを被った学生たちと機動隊が衝突し、血まみれになった何人もの若者たちが担架で運ばれて行きました。私は、記録でしか知らない60年安保の現場に、タイムスリップしたかような錯覚に襲われました。
同月16日に行われた投票により、軍人出身 (最終階級は大将) で与党民主正義党の候補であった盧泰愚氏が得票率36.64%で文民出身の金泳三、金大中候補を破り、いわゆる第六共和国憲法下における第13代大統領に選出されます。
この選挙で韓国民は、直接選挙による大統領選挙を制度としては取り戻したものの、依然として国軍出身者が権力を握るといった民主化とは程遠い結末を迎え敗北感を深めて行きます。それはソウルで開催された第24回オリンピック競技大会の前年、いわゆる”漢江の奇跡”による急速な経済成長によって民主化運動が徐々に衰退し、真の民主化が棚上げされた直前のいわば”最期の燦めき”でした。
汝矣島で行われた史上最大規模のデモに集まった100万人のソウル市民。フィルムの緊急通関が遅れたため、編集部着が翌朝となってしまった一枚。掲載して下さった雑誌『週刊ポスト』 (小学館) のデスクに「オンタイムで届いていたら新聞各紙の1面を飾っていただろう」と云わしめた幻のスクープ写真です (著者撮影)。もしもこの写真が当日夕刊の入稿時間に滑り込めていれば、私は報道カメラマンになっていたかも知れません。
今回、尹錫悦大統領が宣布した”非常戒厳”は、国会議事堂に速やかに集結した国会議員らが、突入した特殊戦司令部の第一空輸部隊 (空挺) にも怯むことなく非常戒厳解除要求案を可決したことで解除され、ひとまず最悪の事態は避けることが出来ました。
しかしながら、国会周辺に集まった市民たちの声が国政に届き「同国の民主主義は守られた」であるとか、中には「大韓民国における民主主義の成熟度は我が国以上」などといったナイーブな見解を示す”有識者”さえいますが、現実は果たしてどうなのでしょうか。
先ず以て、朝鮮半島の人々にとっては、南北統一が悲願であり、民族としての基点です。また、朝鮮戦争は未だに”休戦状態”であることを忘れるわけには行きません。一度、事が起これば「大統領は戦時・事変又はこれに準ずる国家非常事態において兵力をもって軍事上の必要に応じ、又は公共の安寧秩序を維持する必要がある時には法律が定めるところにより、戒厳を宣布することができる」と、大韓民国憲法第77条第 1 項には定められています。
当然のことながら日本国憲法にこうした条文はありません。「武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律」 (事態対処法) が屡々議論に上りますが、”法律”や”閣議”決定と”憲法”とではその重要度はまったく異なります。朝鮮半島では、我が国とは違い70年余りにわたり”戦時態勢”が続いており、国の置かれている状況がかけ離れているため安易に比較することは出来ません。
選挙ポスターや貼り紙を食い入るように見るソウル市民 (著者撮影)。
確かに大韓民国では、軍事独裁政権時代は云わずもがな、朝鮮民主主義人民共和国 (北朝鮮) を敵視する政権は、常に反政府運動を「北の工作」と位置付け弾圧して来ました。尹大統領の宣布を受けて設置された戒厳司令部も、3日午後11時に出された布告令の冒頭で「自由大韓民国内部で暗躍している反国家勢力による大韓民国の体制転覆の脅威から自由民主主義を守り、国民の安全を守るために」と謳っています。
我々日本人にとっては極めて威圧的な文面に映りますが、長年にわたり北朝鮮と一触即発の状態にある大韓民国の人々にとっては、さして違和感のある布告内容ではなかったはずです。1953年 (昭和28年) 以降、同国の兵役法第3条により、原則18歳〜28歳の男性には兵役義務が課せられ、18ヶ月〜21ヶ月入隊しています。つまり同国の成人男子の大半は銃を手にした経験があるため、彼らが考える民主主義は我々のそれとは異なります。北朝鮮の共産勢力が崩壊し、平和裏に南北統一が実現して初めて得られるのが民主的国家であり、それまでは国体を死守すべく国軍とも歩調を合わせながら”仮の民主主義”を維持しなければならない。
不幸にも歴史的に地政学的要衝であり続ける朝鮮半島の人々が、真の民主主義を獲得するまでにはこれからも、幾多の困難が待ち受けています。ドナルド・トランプ米大統領の再選により、朝鮮半島情勢も一転する可能性があります。孫子が云うところの「百戦百勝は善の善なる者に非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」 (百戰百勝 非善之善者也 不戰而屈人之兵 善之善者也) を成し遂げられるか否か。朝鮮民族の叡知が今、問われています。