20260916-1.png

 

 拙著『平和のバトン〜広島の高校生たちが描いた8月6日の記憶』を原典とした拙文「平和のバトン」が、昨年度から文部科学省検定教科書『新編 新しい国語 1』に10ページにわたり掲載されていることから、全国の中学校で講演を行い、生徒たちと対面で語り合う中で、「教育」について改めて考える機会を頂いています。そもそも「教育」とは何か? どうあるべきか? 答えはひとつではありません。しかしながら「教育」とは、大人たちの価値観や常識、理想を押しつけるためのものではなく、あくまでも生徒たち自身が想像力を膨らませ、自ら未来を創造するための手助け、プラットフォームであるべきです。

秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場 第137回公演『喜劇 ワタクシたちの道徳』を観劇しました (新宿・紀伊國屋サザンシアターにて今月21日まで)。本作では、貧困家庭に生まれ、苦学の末に文部科学大臣にまで登り詰めた国会議員が様々なしがらみに飲み込まれ、翻弄されながら、やがて”朽ちてゆく様”が冷徹に描かれています (作 福山啓子 演出 田中麻衣子)。安倍政権時代に浮上した森友や加計学園問題、政治家と統一教会との関連をカリカチュアした事件や人物が次々と登場し、教育行政を司る者にとっての「道徳」の在り方を厳しく問い質します。

 

西洋崇拝の風潮に楔を打つべく1890年 (明治23年) に明治天皇によって発布された『教育二関スル勅語』(教育勅語) に従い小学校の科目に「修身」、中学校では「修身学」が設けられ、知育重視から儒教主義的道徳観に基づく徳育教育への転換が計られました。こうした倫理観は、国民精神総動員実施要綱 (1937年) の閣議決定によってより強化されましたが、戦後は軍国主義教育の象徴と見做され連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) によって廃止に追い込まれます。

しかしながら1951年 (昭和26年) に旧・文部省は、道徳教育振興方針および「道徳のための手びき書要綱」を発表し、教科は特設せずとも学校教育全体において一貫した道徳教育を行なう方針を掲げました。58年 (昭和33年) にはいわゆる逆コースの流れを受けて文部省は3月18日、「道徳の時間」の実施方針の大綱を次官名で通達。4月1日から「道徳の時間」を設置し、毎週1時間をこれに充てることとなります。同年9月から学校教育法施行規則の一部改正により「道徳の時間」は、教育課程の一領域として位置づけられました。

さらにはこの舞台でも取り上げられている2015年 (平成27年) 3月27日付の学習指導要領一部改正によって「道徳の時間」は「特別の教科 道徳」 (道徳科) とされ、小学校 (義務教育学校の前期課程を含む) では18年度 (平成30年度) から、中学校 (義務教育学校の後期課程を含む) では翌19年度 (平成31年度) から完全実施されるに至りました。授業時数は引き続き年間35コマ、週1時間に留められ数値評価は避けられたものの、道徳科に文部科学省検定教科書が導入され、「道徳」が「教育」の一環として定められます。「特別の教科 道徳」の導入を「修身」の復活と捉えるのは浅薄ですが、この作品が、そのタイトルで文部科学省検定教科書が採択されるまで配布されていた文部科学省監修の『私たちの道徳』を揶揄しているように、道徳教育が戦前回帰を促すのではないかと危惧する声は少なくありません。

 

教育勅語は明治23年に明治天皇によって下賜されました。当時の図版には「國民道德の本義を御示し給うた」とあります。

 

そもそも「道徳」とは何か? かつて礼儀作法や人としての在り方は各家庭で教えられ (それだけに個性がありました)、社会生活の基本は喧嘩を繰り返しながらも兄弟姉妹や近所に住む人々から自然と学んだものです。学校は、それぞれの道徳観を調整する場に過ぎなかった。ところが1970年代に知識の暗記に代表される教育の現代化 (詰め込み教育) が問題視され、校内暴力や不登校、いじめが社会問題化するに伴い1980年に改定された学習指導要綱の施行によっていわゆる「ゆとり教育」が推進されます。しかしながら個性を尊重するはずであった教育方針の転換は学力低下を引き起こし、落ちこぼれや自殺にも歯止めをかけられなかったため、公的な教育機関によって「道徳」を”教える”といったいかにも日本的なお節介が始まったわけです。

給付型奨学金制度の不徹底に業を煮やした主人公 文部科学大臣 徳丸秀一 (島本真治) の娘、”ゆとり世代”の真奈美 (前田和穂) は「お父さんにとっての道徳とは何?」と糾弾します。まさに道徳教育は生徒ではなく、これを起草する”大人たち”の倫理観が問われているとも云えるでしょう。

本作は「喜劇」と銘打ってはいるものの、ほくそ笑む程度で腹を抱えて笑うような場面はありません。風刺漫才の元祖 リーガル千太・万吉がもしも舞台に上がっていたならば、「道徳」などといったおいしいネタには一も二もなく喰らいつきドッカン、ドッカン。劇場内を笑いの渦に巻き込み、観客にカタルシスを振り撒いたことでしょう。笑えない「喜劇」が時代の空気を如実に映し出しているところが現代のコメディ、最大の「悲劇」なのかも知れません。