今日は、米国の総合大学の授業スタイルについてお話しましょう。私の場合は、日本の大学へは進学せず留学を選択したため、学士課程について綴ります。修士・博士課程では、専門領域について学ぶことから、言語能力の優劣は Reading/Writing を除けばある程度は軽減されます。一方、四年制ともなれば、「日本がどこにあるのかよーわからん」といった極めて平均的な米国人と日常的に接することとなるため、言葉の壁を避けては通れません。

 

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   まず、新学期がスタートする前に、教授がセレクトした課題図書が各クラス10冊前後発表されます(4コマ取れば1学期で50冊近くにもなりますが、この選書が教授の個性を知る手立てともなります)。受講生は予め新刊またはキャンパス内のブックストアで売られている古本を購入するか、図書館で借りて授業に備えます。

 

   授業が始まると、進行に沿って指定された書籍を事前に読み込むことが求められます(Reading)。と云うのも教授は、授業では文献の内容については一切解説しません。受講生が事前に読了していることを前提に講義は進められます(つまり読んでいなければまったく授業にはついて行けない)。

 

   内容は、例えば英文学であれば作品が書かれた歴史的、社会的背景や教授が考察するその意義について(listening/Note taking)。これも場合によっては授業の半分ほどで終了し、ディスカッションに入ります(Speaking/Debate)。受講生同士が議論を戦わせ、教授は交通整理を行いつつ時折、所見を示す程度。もちろん米国人とて、皆がスピーチを得意としているわけではありませんが、様々な意見を出し合うことで見識は広まります。私自身もこうしたディベートのお陰で、そこら辺りのやわな観念論なんぞギッチリ論破出来るだけの力は身につけました。

 

   試験は数回の中間テストと期末試験。マークシート率はほぼゼロで、極めてシンプルな設問のみ。よって、ロジカルな論理展開が為されていなければ得点は貰えません(Writing)。つまり課題図書を読み込んだ上で、授業を通じて自らの考察をまとめ、理路整然と表現出来るかどうかがポイントとなります。

  一度でも無断欠席をすれば自動的に落第。例え正当な理由があっても2〜3回欠席を繰り返せば「D」評価となり、単位取得は危うくなります。高等教育機関はあくまでも学問を修める場であり、その気がないのであれば、周囲の迷惑にもなるのでどうぞお辞めになって下さい(Kicked out)、というのが米国における高等教育機関の基本的なスタンスです。私が、人生で初めて真剣に勉強をした実感が得られたのも留学してからのことでした。

 

   一般的に米大は、「入学するのは容易だけれども、卒業するのが難しい」と信じられていますが、必ずしも事実ではありません。評価の高い大学に入るためには高校時代の成績が上位でなければならず、高額な授業料を支払えるだけの経済力もなければ継続することは難しい。ハーバート・スペンサーが唱えた適者生存(Survival of the fittest)の法則は、学問の世界にも適用されます。しかしながら一方で、米国は科挙制度とは無縁であったため、○×式の加点ではなく、オリジナリティをより高く評価する風潮があり、これが米国という国の底力ともなっています。