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広島市立基町高校・創造表現コースの「次世代と描く原爆の絵」プロジェクトには、どのような作品が描かれているのか教えて欲しい、観てみたいといった声が多数寄せられているため、所蔵されている広島平和記念資料館の許諾を得て、過去13年間に131名の高校生たちによって描かれた152点もの作品群の中から数点を順次、(拙著『平和のバトン〜広島の高校生たちが描いた8月6日の記憶』に収録されていない作品を中心に) ここでご紹介させて頂いています。

 

『日赤病院前の無傷の死体』 作/前田葉月 所蔵/広島平和記念資料館 (2016年度)

 

被爆から2日後の88日、被爆体験証言者の浅野温生さんがやっとの思いで辿り着いた日本赤十字社広島支部病院前の様子です(現・広島赤十字・原爆病院)。蘇鉄が植えられた前庭には、木をぐるりと囲むように遺体が転がっていたと云います。たくさんの遺体の中から浅野さんは、自分と同い年くらいの広島県立広島商業学校(現・広島県立広島商業高校)の生徒が横たわっているのを見つけます。火傷も傷もないきれいな姿でしたが、兵隊がスコップで押すと、その口からツーっと鮮血が流れ落ちました。浅野さんはその時、初めてその学生が亡くなっていることを知り、大変なショックを受けたと云います。

浅野さんは、当時の地獄絵のような光景を言葉で伝えることの難しさを痛感し、前田さんも、想像を絶する光景をキャンバスの上で再現することの困難さを実感したと述懐しています。