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昨年末から1年にわたり綴って来た被服支廠倉庫の保全問題。これまで稚拙ながらも私なりに様々な提案をさせて頂きました。思えば今年 2月に広島県議会が解体事業の着手を見送り、建物の壁面補強に向けた調査費用として2,600万円を盛り込んだことで、ひとまず危機的状況は回避することが出来ました。

あれから10ヶ月余り。広島県は県政全体の経営戦略を担う経営戦略審議官組織に被服支廠担当の政策監を新設し、9月には耐震化に伴う費用が従来試算の3分の1程度に収まる可能性を明らかにするなど、着実かつ真摯に対策を進めています。

 

一方で、被服支廠倉庫の全棟保全を主張する県民はどうか? 地元メディアはどうか? 1年ものモラトリアムがあったにも関わらず、何も変わっていません。何ひとつ建設的かつ現実的な再生案を打ち出さなかった、打ち出せなかった。はっきり云いましょう。無為無策のうちに貴重な時間を浪費してしまった。ある意味、広島の未来の可能性をも潰してしまいました。

 

「いや。戦前・戦中の軍都としての広島、戦後の臨時救護所としての歴史的価値を訴えて来た」と、反論する方もいらっしゃるでしょう。しかしながらその論旨は、すでに1990年代から唱えられて来た文脈の焼き直しに過ぎません。過去、四半世紀にわたり繰り返し論じられて来た結果、何か変わりましたか? 280万広島県民のうち、1割からでも被服支廠倉庫の全棟保全への同意を得られましたか? 何も、何ひとつ変わってはいない。

敢えて挑発的な言い方をしますが、”負の遺産”の継承といったコンセプトだけでは、県民を説得する方法論として十分ではないことは既に実証されていたわけです。それでも、相も変わらず文学的抽象論にのみ終始し、固執し続けて来た。現時点でこの状態であれば、残念ながら県が提案する1棟保全3棟解体・撤去は避けられないでしょう。

誰も具体的かつ効果的な再生案を提起することがなかった。広島の新たなヴィジョンを語ることがなかった。これでは県民の賛同を得ることなど到底出来ません。個人的には、これほど貴重な建造物が破壊されることは看過できないとの想いで見守って来ましたが、これが広島県民の「決断」であれば致し方ありません。

 

全棟を保全するに際して、平和関連資料を保存・展示する、または県民の憩いのスペースとしてはどうか、といった意見を未だに説く方がいらっしゃいます。もちろんそれが理想的な姿であることは重々承知しています。しかしながら、これまで何度も書いて来ましたが、それで採算は取れますか? 例え、そのような用途が採用されたとしても赤字が累積すれば10年後、30年後、県財政の懐具合によって廃止または規模が縮小されるだろうことは誰の目にも明らかです。「そんな先のことは知らん」ということですか?

そもそも、そのような利用目的であれば1棟あれば事足ります。4棟すべてを保全する積極的理由とはならない。こうした耳障りの良い意見を聞く度に私は、皆さんが真正面からこの問題と向き合ってはいない。真剣に被服支廠倉庫を残したいと考えているわけではない、といった失望感を深めて来ました。皆さんはただ「あの時、私は反対しましたよ」と、自己弁護したいだけなのではありませんか?

 

最早、打つ手はありません。此の後に及んで唯一、私が提案出来ることがあるとすれば今一度、県にパブリック・オピニオンを行って頂くように働きかけることでしょう。昨年末に実施されたパブリック・オピニオンは、あくまでも被服支廠倉庫保全の可否を尋ねたものでしたが今回は、保全または解体を望む双方の方々に、具体的な再生案もしくは解体・撤去後の敷地の利活用法を問う、というものです。これも何度も書きましたが、将来設計なくしてただ闇雲に反対・賛成を叫ぶほど、無責任なことはありません。私が県職員または県会議員であったとしても、「これは!」といった対案がなければ1棟保全3棟解体・撤去を認めざるを得ない。立場が違えば皆さんも同じ判断を下すことでしょう。

圧縮されたとは云え、30億円は下らない耐震・外壁補修費用はどこから捻出されるのでしょうか。県民、国民の血税です。過半数とは云わないまでも多数の県民や地元財界が膝を乗り出し「それであれば全棟保全すべきだ」と賛意を唱えるような前向きな再生案を掲げなければ、それこそ皆さんが常日頃批判している税金の無駄遣いと指弾されても文句は云えません。被服支廠倉庫は県民、そして国民のものであることを忘れてはなりません。

 

パブリック・オピニオンを通じて打開案を募る。その中から、被服支廠倉庫の歴史的価値を保ちつつも採算性が取れ、ひいては広島の新たなアイデンティティを構築するような優れたプランを掬い上げる。希望的観測に過ぎませんが、出色のアイデアが集まりさえすれば実現性を調査研究するためにあと1年、県が結論を先延ばしにする、といった可能性もないとは云い切れません。地元メディアが動かないのであれば(地元メディアが率先して積極的に保全キャンペーンを張らなかったことは残念でなりません)、もうこれしか方法は残されていないように思います。

 

後から「保全しておけば良かった」と云ったところで後の祭りです。一度、破壊された建造物は二度と戻っては来ません(後々レプリカを作るとしても、これほどの規模では不可能です)。その時、皆さんは、これまで失って来た幾つもの被爆建物の時と同じように、国の政策を責め、県の対応を責めるのでしょうか? 皆さんが自ら思考し、被服支廠倉庫を守るべく行動する時間はあったにも関わらず…。私たちに残された時間は、あと1ヶ月余り。時計の針は止められません。