寒雨そぼ降る昨日、東京・駒込で時事通信社記者 中山涼子さんのお話を伺いました (竹内良男さん主宰『ヒロシマ連続講座』第117回「祖母の原爆詩をたどる〜被爆証言と向き合う」)。中山さんは原爆詩『ヒロシマの空』を書かれた詩人 林幸子さんのお孫さんです(詳細は昨年10月19日の投稿をご一読下さい)。
私にとってこの『ヒロシマの空』は、特別な意味を持った作品です。これまで、多くの被爆者の方々にお目にかかり、お話を伺いました。その過程で幾度となく打ちのめされ、混乱し、逡巡し、苦悶しました。己の愚蒙を呪い、無能に愛想を尽かしました。その都度、私はこの一編の詩に立ち戻りました。被爆者の艱苦と少しでも寄り添い、慟哭を決して忘れぬように。繰り返し、繰り返し、詠み返しました。祈るように、救いを求めるかのように。広島とは、縁も所縁もなかった私にとって『ヒロシマの空』は、原点であり、また終点でもあるように思います。
ころころと鈴を転がすような声。中山さんが観せて下さった映像で、私は初めて林幸子さんの生前の姿を拝見することが出来ました。そして没後、見つかったという膨大な手記の一節に触れ、改めてその言葉に向けられた鋭敏な感性に心動かされました。幼くしてミューズに魅入られた林幸子さんはどうしても、いつまでも言霊から逃れることが出来なかったようです。
中山さんは被爆三世として「戦争」、そして「平和」が記号化しつつある現状に危惧していると云います。まさにそれこそが我々、被爆者と邂逅出来る最期の世代が背負う重く巨きな十字架です。被爆の記憶がきれいに整理整頓され、歴史書に記述されることに抗う。死臭、鮮血、叫喚にどこまでもこだわり続ける。「戦争」、「原爆」、「平和」という文言がただの一度も綴られていない『ヒロシマの空』は教えてくれます。「戦争」なる言葉の不毛、「平和」なる言葉の空虚を。
お母ちゃんの骨は 口に入れると
さみしい味がする
たえがたいかなしみが
のこされた父とわたしに おそいかかって
大きな声をあげながら
ふたりは 骨をひらう
菓子箱に入れた骨は
かさかさと 音をたてる
弟は お母ちゃんのすぐそばで
半分 骨になり
内臓が燃えきらないで
ころり と ころがっていた
その内臓に
フトンの綿が こびりついていた
(『ヒロシマの空』より抜粋)
そんなこんなで涼子ちゃん、ご結婚おめでとうございます! 末永くお幸せに♪