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広島市は、腹を括るべきです。「平和」を市政の真ん中にドンッとばかりに据える。試行錯誤、紆余曲折はあるでしょう。しかしながら、最終的にはこの結論に行き着きます。批判を懼れずに云えば、広島市ならではのコンテンツは、突き詰めれば「平和」しかありません。遅かれ早かれそうなるのであれば、一日も早く着手するに越したことはない。

 

但し、ここで云うところの「平和」とは、従来の古色蒼然とした平和運動に与するということではまったくありません。より次元の高い崇高な「平和」といった理念を掲げるといった意味合いです。広島市の憲法”とも云える『広島平和記念都市建設法』の第1条で宣された「恒久の平和を誠実に実現しようとする理想の象徴として、広島市を平和記念都市として建設する」といった原点に立ち返る、ということです。

 

確かにこの国では、「平和」という言葉には、過去半世紀ですっかり色が付いてしまいました。であれば、それは塗り替えれば良いだけの話です。日本国憲法では、「恒久平和」を「崇高な理想」と位置付け、その「平和」とは、「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去」した極めて広範かつ抽象的な有様であり、必ずしも戦争だけを念頭に置いたものではありません。平たく言えば、社会格差や貧困、飢餓、環境問題や性差別、家庭内不和でさえ、「幸福な市民生活の基本であるところの平和を妨げる要因」として内包することができる”積極的平和”を指しています。

こうした理念は、今になって国連が提唱している持続可能な開発目標(SDGs)といった国際目標を、遙か以前に先取りしていたと云っても良いでしょう。何のために広島市は、世界で唯一「国際平和文化都市」といった市是を掲げているのかを今一度、考える必要があるように思います。

 

例えば、広島経済同友会は昨年3月に『広島エリアにおける周遊型インバウンド観光振興の未来戦略』といった提言を行っています。非常に良く調査されたレポートですが、要は観光を振興すべく「コネクト」(通信環境の充実)、「キャッシュレス」(支払いの簡便化)、「オンデマンド」(情報提供)を整える、といったテクニカルな内容に終始している。最も大切な「何を軸として観光客を誘致するのか?」といったヴィジョンがどこにも書かれてはいません。もちろん、こうしたサービスの充実は大切です。しかしながらこのような方策であれば、他の地方都市でも同じことを考え、同じように実行しようとしています。そこに広島市ならではのオリジナリティが微塵も感じられない。詰まるところ主線 (おもせん)がありません。個性がない。

 

「平和」を基本ポリシーとする。これは広島市(そして長崎市)以外の都市では、どう転んだところで出来ません。やってみたところで説得力に欠ける。このように臆面もなく「平和」を前面に打ち出すことに、一種の後ろめたさがあるのでしょうか。広島市が今ひとつ茫洋として摑み辛い原因は、このヴィジョンのなさに起因しています。

あくまでもこの軸線に沿って産業構造の再編、観光振興、人材育成を進めて行けば、非常にスムーズに事が進みます。「これは平和に寄与するだろうか」、「これは平和と親和性があるだろうか」。云ってみれば広島スタンダード”(Hiroshima Standard)の起ち上げです。

 

これにSDGsと同じく幾つかの達成目標を広島市が独自に設定し、認証制度を設ける。ISOや特別栽培農産物などとは異なった「平和」を軸に据えた広島市オリジナルの基準です。すると農林水産業を始め、地元企業はこのガイドラインに則した商品開発を進めることとなるでしょう。『広島平和記念都市建設法』の公布当初を思い返してみて下さい。広島市民は猫も杓子も「平和」を冠した商品を売り出し、勇猛果敢にビジネスを生み出しています。

 

例えば宿泊施設であれば、1) ヒロシマ・コンシェルジェ: 英語もしくは多言語で広島市の戦前から戦後に至る歴史を説明出来るスタッフがいる、2) ヒロシマ・プロダクツ: 平和を希求する地元企業が製造した枕・布団などを採用している、3) ヒロシマ・ディッシュ: 節減対象農薬は使用せず廃棄物を削減する努力を行っている、4) ヒロシマ・グッドウィル: 世界の紛争地域の学校や難民キャンプに寄付もしくは物資を無償提供している、などといった項目はいかがでしょう。これらの基準を満たした地元企業に対して広島市が”広島スタンダード”として認証し、国内外に積極的に発信して行くわけです。

 

こうした過程で、おそらくは「なんだ広島はまた”平和”で商売しようとしているのか」といった類のやっかみや冷笑の声も耳に入って来るでしょう。そのような低次元の意見に掛かり合う必要などありません。云いたい者には云わせておけばいい。”Hiroshima Standard for Peace”といったコンセプトは、欧米では必ずや尊敬の念を持って受け入れられます。

 

そもそも他の地方都市と同じように東京マーケットに目配せしているところに問題があります。東京の人間は日和見です。観光にせよ特産物にせよ、沖縄から北海道に至るまで無数にチョイスはある。いくら広島の人間が「これがスゴい!」と云ってみたところでさしたる訴求力はありません。しかしながら、これまで以上に欧米からの観光客が大挙して押し寄せることにでもなれば、好奇心の強い東京の人間は「広島市には何かある」と考え、黙っていてもやって来ます。

 

”広島スタンダード”は、単なる一地方都市の起死回生ソリューションといったちっぽけな枠組みに押し留めることなく、国際的なビジネスモデルとして大々的に打ち出すべきでしょう。広島市には、他にはないコンテンツがあります。