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私が、広島と契りを結んでから、8年余りの歳月が流れました。

その間、何人もの被爆者と邂逅する機会に恵まれ、親交を紡ぐ中で、

被爆体験のみならず戦前の想い出、戦時中であれ果てしなき夢を

抱いていた幼少期、そして、壮絶な差別に見舞われた戦後の”疵痕”を

伺ってまいりました。

 

その後、何人もの被爆者との別れがありました。

拙著『平和の栖〜広島から続く道の先に』で取材をさせて頂いた方々の多くが

すでに鬼籍に入られました。新型コロナウイルス感染拡大以降、外に出るのも

「たいぎぃ」と仰る方が増えました。

 

時計の針は止められない。

 

  被爆78年、広島。

市役所で、学校で、病院で、職場で、酒場でも、

被爆体験の風化を憂い、嘆く声を耳にします。

「何とかせにゃあいけん」

それでも、誰も腰を上げようとはしない。声を上げても、

半世紀前と何ひとつ変わらぬ論法を繰り返すばかり。

な思考に凝り固まり、生暖かい旧弊に安住し、

何ら”革新的”な道筋を編み出すことなく、

一個人として実行に移そうともしない。

時計の針が 0 を指そうとしているにも関わらず。

 

詩人 栗原貞子は、『八月の死者たちのために』の中で、

 

死者たちをして語らしめよ

死者たちよ、そちらの方から

私たちの生きざまがよく見えるだろう。

死者たちの無念は炭化し

黒く凍結したままなのに

生き残ったものの記憶は腐臭を放ち

あの日の真実を語ることはできない

 

と、綴っています。

 

過去、現在、未来を貫通する

鋭くとぎすまされたことばで

一瞬世界を凍りつかせよう。

核をあやつる者たちを

蒼ざめさせ 立ちどまらせよう

 

 あなたは、あなた自身のことばを持っていますか?

それは、自らの手で、足で、たぐり寄せたことばですか?

借り物のことばはもう止しにしませんか。手垢が付き、

埃を被ったことばになど、もう、誰も見向きはしない。

あなたは、武力ではなく、対話で諍いは回避すべきと云う。

そんなあなたは、腹の底から沸き上がることばを持っていますか?

 

  広島は、どこへ行くのか、行こうとしているのか?

死者たちへの誓い”はどこへ行ってしまったのか?

ひろしまの体臭”は消え失せてしまったのか?

 

  被爆78年、広島。

原爆犠牲者の御霊に衷心より哀悼の誠を捧げると共に

微力ながらも自らのことばで、自らの行動によって

被爆体験の継承を通じて、世界恒久平和の実現に

尽力することをここに誓います。

 

 

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