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 「旧・広島陸軍被服支廠倉庫を文化財に!」といった聞き心地のよい意見を耳にする度に、私は広島県人ではありませんが、「結局は他人事なんだなぁ」と、寂しい想いに駆られます。3月8日の投稿でも記したように、同・倉庫単体での世界遺産登録はほぼ不可能です。何らかの”政治的判断”に扶けられ、広島県または広島市によって文化財として指定されることは可能でしょう。とは云え、それにかかる約100億円もの修復・保全費用は一体誰が負担するというのでしょうか? 県ですか? 市ですか? (ご周知の通り、文化財指定ともなれば民間からの資金援助はまず望めません) 百歩譲って国から某かの財政支援を得られたと仮定しましょう。その後も毎年、かかるであろう数億円規模の経営・運転資金はどのように捻出するおつもりでしょうか? 

 

 また、利活用法について、広島平和記念資料館の補完的位置付けとする、といった意見も屡々聞かれます。確かに遺品等の保管スペースが限界に近づきつつある同館のサブ・ストレージとしての活用はあり得ます。そもそもが倉庫であるだけに理に叶ったアイデアです。しかしながら、それだけで運転資金を賄うことは到底出来ません(寧ろ、広島市が県に管理費を支払うこととなるでしょう)。

 

 「市民の憩いの場」というのも非常に耳には優しいプランですが、そこから収益を上げることは出来ますか? 何とか保全はしたものの毎年、赤字を垂れ流す”ハコモノ行政”の悪しき遺物とやがて指弾され(広島大学旧理学部1号館のように)、結果的に10年後、20年後、万策尽きて解体・撤去の憂き目に遭うのではないですか? (現時点においてさえ決して県民の関心度が高いとは云えないこの問題、その頃にもなれば誰ひとりとしてその価値を尊ぶ者はいなくなっていることでしょう) それこそ、この建物で尊いいのちを落とされた方々に申し訳が立たない。少なくとも私は、そう思います。

 

 繰り返します。抽象論で被服支廠は救えません。自立的かつ半永続的に利益を生み出し、独立採算どころか、県や市財政に寄与する施設でなければ、とてもではありませんが永久保存は覚束ない。地元メディアも、(広島県民の大半がまったく興味を示していない現状では致し方ないにせよ) 歴史の「おさらい」を悠長に報じるステージはとうの昔に過ぎ去っています。なぜ、一地元メディアとして、利活用法試案を自ら考案・提起し、世論を喚起しようとしないのか(当然のことながら異論反論は出るでしょうが、県民の意識を高める効果は期待出来ます)。広島には、真剣に被爆遺構を後世に残そうと汗をかく人材はいないのでしょうか?

 

 これまで何度も書いて来たように被服支廠の利活用法は、広島県人としてのヴィジョンが問われる試金石になると、私は捉えています。敢えて挑発的な書き方をします。広島が、世界に誇れるコンテンツは「平和」。突き詰めれば、これしかありません。