高音域に差し掛かると声がかすれ、声量も心許ない。不安定な音程を、類い希なる表現力で補おうとするその姿には、見ていて痛々しいものがありました。テレサ・テン(鄧麗君)。彼女が生前最後に来日した際、フジテレビの音楽番組『ミュージック・フェア』に出演した様子をスタジオの片隅で見詰めていました。
その後、場所を楽屋へと移し、フランス人の彼氏には退出して頂き、差し向かいでインタビューを行いました。私は、いわゆる”音楽ライター”ではなかったため、興味は台湾人としての彼女の政治思想、対中感情でした。かつて彼女の歌は、「退廃的(靡靡之音)」といった理由から中華人民共和国では発禁処分となっていたものの、海賊版のカセットテープが大量に流入し、「昼は鄧小平が、夜は鄧麗君が支配する」とまで云われた同国で最も人気のある押しも押されぬ”歌姫”でした。
テレサ自身、こういった類のインタビューを受けた経験があまりなかったようで、最初は困惑した表情を見せていましたが、次第に「独立国としての台湾」について滔々と語って下さいました。この時は、たまたまインタビューを録音していたため彼女の死後、インタビューの様子はTBSの『報道特集』を始め、ニュース番組で度々放送されました。
国家安全法制の導入が決定した香港、必死の想いで抵抗を続ける香港市民…。没後25年。ふと、テレサが生きていたらどのような感想を持っただろう、どのように行動しただろう、との思いが脳裏を過りました。決して、「時の流れに身をまかせる」ことはなかったのではないかと。