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   広島市立基町高等学校との出会いは、3年ほど前に遡ります。当時、私は拙著『平和の栖(すみか)〜広島から続く道の先に』の取材で幾度となく広島入りしていました。その折々に、お世話になっていた被爆体験証言者の小倉桂子さんから、同校の創造表現コースが取り組んでいる「次世代と描く原爆の絵」プロジェクトについて伺ってはいました。しかしながら取材のテーマが広島の戦後復興であったことから、正直なところ当初はさして興味を惹かれたわけではありませんでした。ところがある日、小倉さんが「これから基町高校へ行くので一緒に来ないか」と誘って下さったことから、すべてが一変しました。

 

   同校で制作中の作品を間近に拝見し、プロジェクトを引率する橋本一貫先生とお話する中で、「もしかしたらこれは、物凄い取り組みなのかも知れない」と、鳥肌が立ったことを今でも鮮明に覚えています。何よりもそれは、昭和20年8月6日で動きを止めてしまった時計の針ではなく、未来へ向けて今も、カチカチと音を立てて時を刻み続ける私がこの地で探し求めていた”指針”であったからに他なりません。

   10年間 (当時 )続けて来られて、それまで同プロジェクトが書籍化されたことが一度もないと知らされ、私は一瞬耳を疑いました。これほど価値のあるプロジェクトを、なぜ誰も記録しようとはしなかったのか。私は東京へ戻るとすぐさま、拙著を刊行して下さっている教育関連大手出版社のくもん出版さんを訪ね、企画を提出し、広島初の試みである「次世代と描く原爆の絵」の歴史的価値を滔々と語り尽くしました。幸運なことにも同社は、これまで刊行された”広島関連本”と本作との明らかな差異をたちどころに理解し、その意義を汲み取って下さったため、正式に取材・執筆に着手することが出来ました。平成30年卯の月。未だ朝夕の冷え込みが厳しい頃合いでした。