20200623 .png   広島を訪れ、実際に何人もの被爆者の皆さんのお話を伺う中で、気づいたことがありました。それは、皆さんのお話がいずれも”幼児体験”に基づいたものであること。主に「光」や「音」、「臭い」といった五感で”感じた”被爆体験だということでした。考えてみれば当たり前の話で、被爆者の皆さんは当時、国民学校か旧制中学、もしくは女学校に通っていた10代の少年少女たちだったわけです。

 

   もしも私が四半世紀前に被爆者の皆さんにインタビューを試みていれば、「あの朝、米穀通帳はどこに保管していたか?」であるとか「日赤病院の医薬品在庫状況は?」といった、より社会生活、経済活動に密着した”大人の話”を伺えたに違いありません。そのため、私がこれまでの多くのジャーナリストと同じように、被爆体験の”収集”に主眼を置いていたならば、一種の物足りなさを感じていたことでしょう。ところが私は、そうは考えなかった。寧ろ、”遅れて来た世代”であることをポジティヴに受け止めました。

 

  「次世代と描く原爆の絵」は、当時の彼らとほぼ同年代の高校生が制作している。そして『平和のバトン〜広島の高校生たちが描いた8月6日の記憶』は、今を生きる小・中・高校生を読者対象に据えています。三位一体。これまでこうした視点で「広島」を捉えたノンフィクション作品はただのひとつもなく、これからもないでしょう。10年前であれば、どうしても「大人」である被爆者が「子ども」に”教える”形となっていたでしょうし、10年後であれば、あの日の記憶を詳細に語れる被爆者の皆さんは、殆どいらっしゃらなくなっていることでしょう。まさに被爆から70年以上を経た「今」でしか成立し得なかった作品であったように思います。

 

   そのため取材・執筆にあたり、被爆の実相を過去の歴史として伝えるのではなく、現代の子どもたちにもわかりやすいように、パラレルワールドへと引き込むような様々な工夫を凝らしました。まずは、長時間にわたりお話を伺った被爆体験証言者の皆さんのエピソードの中から、子どもたちが共感・共有出来る”共通言語”を拾い上げました。また、掲載させて頂く写真も敢えて被爆当時またはその前後のお写真をお借りしました。現在のお写真を掲載すると、どうしても子どもたちは「昔の話」といった印象を抱いてしまうからに他なりません(一般書籍であれば高齢者に敬意を表して直近のお写真を掲載するのが常道です)。ところが、例えば14歳の頃に撮られた写真を見せられると「あ、私と同い年だ」、「えっ! 僕の妹と同学年じゃないか…」と、原爆の怖ろしさ、悲惨さを身近に感じて頂けるのではないか、と考えたわけです。基町高校の生徒たちと同じく読者にも、時空を超えて、あの日を疑似体験してもらう。これが、私がこの作品を手掛けるにあたり自らに課した”使命”でした。