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   私は常々、”共通言語”というものにこだわり続けて来ました。広島を訪れ、最も驚かされたのは皆さんが50年前、20年前と一字一句違わぬ言動を延々と繰り返しておられることでした。もちろん被爆体験を語り継ぐ、語り続けることは何よりも大切なことです。多くの被爆者の皆様と出会い、お話を伺い、私もまったく同じ想いを抱いています。

   しかしながら、こと「伝える」という行為について云えば、それだけでは効果的に”伝承”し、新たな息吹を与えることは難しい。同じところをぐるぐる廻っていただけでは、同じ体験を共有し、同じ意識を持った方々の間で堂々巡りを繰り返すだけで、被爆体験証言者の方々の高齢化といった避け難い現実を前に、やがて縮小し、失速し、遂には動きを止めてしまうこととなるでしょう。いわゆる被爆体験の風化です。ぐるぐると緩やかに回転しながらもスパイラル状に縦へ、横へと拡がって行かなければ世代、地域、そして文化を超えて伝達することは出来ません。

 

   今まで基町高校の「次世代と描く原爆の絵」プロジェクトについて、誰もその意義について着目して来なかった事実は、灯台下暗しといったひと言で片付けるわけには行きません。僭越ながら広島の皆さんは”被爆体験の継承”について、いつの間にやら保守化し、「そんなものぁ、被爆者が自ら描いた絵の真似事じゃ」と切り捨て、定型化された殻の中に閉じこもっておられたのではないか、といった印象を、少なくとも私は受けました(こうした守りの姿勢は今も何ら変わってはいません)。

   私はこれまで、海外との交流を通じて”共通言語”の大切さを身を以て体験して来ました。また、マスメディアの世界に身を置き、コミュニケーションの難しさにも頭を悩ませて来ました。広島の体験をどのように伝えるか、伝えるべきか。基町高校の「次世代と描く原爆の絵」プロジェクトは、まさに私が探し求めていた回答、これまでにない優れた”メソッド”だったのです。

 

   今を生きる高校生たちには、当然のことながら被爆体験はありません。それどころか75年前の風俗や習慣など、まるで異国の文化に接するようなものでしょう。それでも彼らは、ただ被爆体験証言者の”記憶”を聞き出すだけに留まらず、1枚の絵を描くために自ら足を使って資料を集め、当時のビジュアルをひとつ、またひとつと獲得して行きます。目と耳で情報を収集し、心で咀嚼し、やがて絵筆を握り、線を引き、色を乗せる。こころとからだで真正面からぶつかったからこそ得られた疑似体験は、決して消え去ることはありません。

 

   彼らは、時空を超えた「時をかける少女」となりました。いわゆる”伝承者”ではありません。彼らが先々、被爆の実相を伝えることはないかも知れない。広島の体験を語ることもないかも知れない。しかしながらこのプロジェクトを通じて体得した「平和」の意味をそれぞれの方法で、新たな”共通言語”を用いて、しっかりと後世に伝えて行ってくれることでしょう。それこそが原爆によって尊いいのちを亡くした方々が望んだこと、と私は信じて疑いません。