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思想信条を問わず、ニュースサイトや他人のFacebookTwitterをただ貼り付けて、「個人版まとめサイト化」しているユーザーの多さに、Facebookを始めた当初は大層戸惑いました。それがSNSの特性であることはわかります。私も、これはと思ったサイトはシェアしたり、リツイートしたりはします。ただ、作家と称される方々の中にも、「頻繁に更新しなければアクセス数を稼げない」といったプレッシャーからでしょうか。単にリンクを張るだけで済ませているケースが多々見受けられます。当然のことながら、ご当人のお眼鏡にかなった(或いは偏った)サイトばかりで、何とも居心地が悪い。どれだけ承認欲求が強いのかと。

 

あなたは一体誰ですか何を考え、どのように行動をしているのか少なくとも特定の情報に接して、あなたがどのように受け止めたのか。そこにあなたがいなければ面白くない。批判ばかりで建設的な提案がなければ、毒にも薬にもなりません。批評家は1億人も要らず、SNSなんぞ所詮、井戸端会議に過ぎない、と嘯くのであれば敢えてオープンにする必要もないでしょう。

 

さらに云えば、マスメディアの情報は、例え発信元が全国紙であろうがキー局であっても、様々な理由から必ずしも正確であるとは限りません。特にネットに流される速報ニュースに(新聞紙面であれば早版もしくは初版)脊髄反射する危険性は、同業者であれば誰もが知っています。日頃からメディアリテラシーの重要性を力説しているユーザーに限って、墓穴を掘るのはなぜでしょう。

 

SNSは、発信メディアを持たない「個」の解放が唯一の長所であったにも関わらず、「個」が理没しているように思えてなりません。他者の言動を鵜呑みにして、右から左へ流しているだけでは、皆さんが常々批判している同調圧力の拡散と、どこがどう違うというのでしょうか。自立した「個」として発信しなければ、ひとのこころを動かすことなど出来やしない。「敵」は、そこにはいませんよ。