20201016.jpg
 

 

SNSなんて井戸端会議みたいなもんだから、そんなに肩肘張らなくてもいんじゃね?」と云う方がいらっしゃいます。こうした反応は、フェイスブックがブームとなった当初から使い始め(日本語版公開は2008)、身近な友人知人とのコミュニケーション・ツールとしてフルに活用して来られた方々に多いようです。「今日は誰々に会った」、「今日は何を食べた」、「どこへ行った」といったような日々の出来事の発信です。確かに当時は、こうした他愛もない情報を画像・動画と共に他者と気軽に交換・共有出来るツールはなかったため、電話で話すのと近しい気軽さがあったのでしょう。

 

また一方では、SNSを新手のゲリラ戦法と見做し、ひたすら主義主張を発信しまくる右や左の旦那様もいらっしゃいます。近代メディアは、その誕生以来、常に一方的に情報を供給し続けて来ました。そのためSNSユーザーも、どうしても受け身体質から抜けられない。特にディベート慣れしていない我々日本人は、いざ口を開くと相手構わず滔々と持論を述べ、やもすれば感情的に攻撃するなど稚拙な対応がそこここに見受けられます。

いずれもフェイスブック・ユーザーの高齢化を牽引している方々と云えるでしょう(NTTドコモ モバイル社会研究所が今年1月に実施した調査によると60代の22.5%がフェイスブックを利用。LINE61.1%に次ぐ高率)

 

私は、幸か不幸か遅れて来た世代であるため(たった1年半のビギナーに過ぎません)、そのどちらにも組みする者ではない、というかそもそもそのような使い方をするためにSNSを始めたわけではありません。今でも友人や編集者とのコミュニケーションは電話かメールですし(苦笑)、作品はSNSではなくマスメディアを通じて発表しています。

 

しかしながら一介のジャーナリストとして、投稿内容そのものは井戸端会議のようなものであっても、不特定多数の方々に読んで頂いている以上、責任を持って発言すべきと考えています。もちろん自説がすべて正しいとは露ほども考えていませんし、正義を振りかざすつもりなど毛頭ありません。よって反論や批判の類は大歓迎です。但し、信頼に足る情報に基づいた意見でなければ議論するだけ時間とエネルギーの無駄なのでスルーすることにしています。また、SNSがムーブメントを引き起こすと考えるほどナイーヴな性格でもありません。

 

例えばツイッターで、こういうことを書けばバズるだろうな、といったコンテンツやフレーズは幾つも思い浮かびます。ただ、少なくとも現段階においては、そこに意義を見出せません。多少、知名度は上がるかも知れませんが、だからと云って私が本来、作品を通して伝えたいことが正確に増幅されるとは、どうしても思えない。既存メディアとネットは似て非なるものなので、誤謬を伴ったズレは必ず生じます。本業ではない部分でストレスを抱えてしまっては本末転倒となります。

 

  もちろん今後、私なりに納得する新たなSNSの活用法が見つかり、「おいおい。あんな事云っていたけど、そこんとこどうよ」ということになるやも知れません(年内にも新たなチャレンジを始動すべく模索中です)。その時はその時でひとつ、生暖かい目で見守って下されば嬉しい限りです。