
やれ「戦争抑止」だ「戦争準備」だと、SNS上でいがみ合っている方々を遠い目で眺めていると、ついつい小さなコップの中で体をぶつけ合い、縄張り争いを繰り返すメダカの群れを思い起こしてしまいます。双方に共通しているのは国際感覚の欠如。コップの外にドデカい世界が拡がっていることはガラス越しに (インターネットを通じて) 見聞きしてはいるものの、実際に飛び出てみようとは露ほども思わない。尤も出たら最後、ひ弱なニッポン人は酸欠状態に陥ってしまいますが…。
私が米大学に留学していた1980年代前半、私たちはまだ「他国に学ぶ」といった謙虚さと貪欲さを身に付けていました。やがて好況期を迎え、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の掛け声と共に善く云えば自信をつけ、悪く云えば傲慢になって行った。ところがバブル経済が崩壊した途端に日系企業は海外市場から撤退を始め、海外留学も減少に転じ、結果的にイノベーションによるグローバル市場の競争原理に適応出来ずデジタル革命に乗り遅れてしまいました (2006年のジェフリー・ヒントンによるディープラーニングの発明以降、ChatGPTなど巨大言語モデルの開発に至るまで、日本人のプレゼンスは殆どありません)。
長引く景気低迷に追い打ちを掛けたのが新型コロナウイルス感染症の拡大でした。3年余りにわたり私たちは海外渡航を断念せざるを得なくなります (国策として外国人の入国も禁止されました)。加えて現在も進行中の急激な円安。とてもではありませんが自己資金で留学や技能修得に渡航・移住出来るレベルの経済格差ではなくなってしまいました。
一般的に米国の大学は、「入学するのは簡単だが、卒業するのが難しい」と信じられていますが、必ずしもそうとは云い切れません。ハーバード大学のようなトップクラスの名門校に入るためには高校時代の成績や学力評価試験 (SAT) で好成績を収めていなければならず、合格率は東京大学を遙かに凌ぐ僅か5.4%といった狭き門です (2020年)。
また、アイビー・リーグともなれば、最低でも年間6万2250ドル (約970万円) といった高額な学費を支払えるだけの経済力も備えていなければ学業を継続することは出来ません。日本の国公立にあたる州立大学でも、州外の学生であれば年間400万円以上もの授業料を納めなければならない。英哲学者ハーバート・スペンサーが唱えた適者生存 (Survival of the fittest) の法則は、高等教育においても当てはまり学習意欲のない者、経済力のない者は容赦なく切り捨てられてしまいます。

そのため過去20年以上にわたり、コップの外を”体験”する若者たちは激減の一途を辿りました。つまり現在、40歳以下の日本人の多くは身を以て世界と交わる、外国人と肌を接して愛し合う、または喧々囂々の議論を戦わせる機会がないままに育って来たことになります。まさに、もやしっ子。かつて大学生は当たり前のように卒業旅行にはロサンゼルスへ、パリへと旅立って行きました。例え物見遊山であろうと、異国の空気を吸うことが目を見開くきっかけとなったものです。ところが今や若者たちの多くが、留学はおろか観光旅行さえしたことがない。
昨今、「日本ファースト」などと称する安っぽい排外主義、外国人の排斥運動が、特に若年層を中心に支持を得ていますが、その根底に国際感覚の欠如から来る外国人に対するいわれのない差別、異質なものに対する嫌悪感があることは否めません。有識者と称される方々はしたり顔で右傾化であるとか広汎性発達障害(PDD) にその原因を求めますが、それほど”高級な理由”ではありません。温室のドアを開ければ、当然のことながら冷気が入り込む。「寒いのは嫌だ」といった単純極まりない幼児性が排外主義の正体です。
海外で生活すれば思想、信条、宗教から慣習に至るまで、日本とはまったく環境が異なるのは当たり前。こうした”差異”といかに真正面から向き合い、コミュニケーションを図り、妥協点を見出すか。楽しいことばかりではない地道なプロセスを経て初めて相互理解は成り立ちます。私は大学や高校で講演をさせて頂く際には、何はさて置きこの「対話」の重要性を説くことから始めます。引き籠もっていたのでは到底、逞しさやしたたかさを身に付けることは出来ない。分厚いガラスに守られた安全なコップの中で、偏向した偏狭な情報に基づく薄っぺらい持論とやらを振りかざして悦に入るのが関の山でしょう。
現政権は元より昨今の政治家は事ある毎に「国益」を口にします。排外主義を例に出すまでもなく、彼らが云うところの「国益」とは既得権益を守ることであり、広い世界へ雄飛し外国人と丁々発止の交渉を行い、共存共栄の解決策を導き出し、結果的に「国益」を拡大することではありません。この国の国力が低下し、経済の縮小が止まらない理由は明らかです。
「書は捨てず、町へ出よう」。教養と志さえ身に付けていれば、コップの外に拡がる極彩色の世界と出逢えます。またコップの中がいかに濁っているかも判るようになる。”失われた30年”とは、そういうことです。













































