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  広島と関わって来てつくづく感じるのは、被爆者の皆さんに意見するひとがいない、ということです。「こうすればいいのに」だとか「ここはこうした方が?」と、心の中では思っていても、被爆者の皆さんに遠慮してか、誰も直接伝えようとはしない。敢えて厳しい言い方をさせて頂ければ、見て見ぬふりをしている。気持ちはわかります。「被爆体験もないのに意見するなんて、お前は一体何様のつもりだ!」と一喝されればそれまでです。政治的にもこれまで様々な経緯があったことは知っています。

 

  しかしながら、これは果たして正しい関係なのでしょうか。敬う気持ちは抱いて然るべきです。しかしながら、叱られようが思ったことは礼節をわきまえながらも率直に話してみる。自分の認識が間違っていれば素直に正せばいいわけで、それはそれで私たちにとって貴重な学びとなるはずです。

このまま、コミュニケーションが疎遠なまま時が過ぎれば、被爆者の皆さんがいらっしゃらなくなった途端に、被爆体験のない者たちが「こう云うべきだ、こう伝えるべきだ(と前から思っていた)」というノンフィクションに基づいたフィクションを語り始める危険性をひしひしと感じています。私自身、お話を伺った何人もの被爆者の皆さんを見送る度に、彼の、彼女の体験そして想いの丈は、次世代にどのように伝えられて行くのだろうか。彼らが納得するに足る伝承となるのだろうか、と不安に駆られます。

  私は広島生まれでも育ちでもありません。広島在住でさえありません。だからこそ云えることがあるのではないか。云うべきことがあるのではないか。そんな想いからこの連載は、失礼をも顧みず問題提起の一環として綴っています。

 

被爆当時15歳だった皆さんと、目の前にいる15歳の子供たち。前回のプロセスで時間の隙間はほんの少しだけ埋めることが出来ました。ほんの僅かだけ、歩み寄ることが出来ました。本題である皆さんの被爆体験の語りに入る前に、もうワンステップ差し挟んでみてはいかがでしょうか。キーワードは空間です。

 

  子供たちは、「原爆は広島、長崎のこと。僕の、私の住む町とは関係ない」、「戦争なんて知らない、私にはわからない」と思っているはずです。当然です。私たち日本人は、不断の努力で75年もの長きにわたり「平和」を維持して来ました。「戦争」が身近ではないことほど素晴らしいこと、誇らしいことはありません(一方で、自然災害は極めて身近なテーマです)。私も、難民キャンプや内戦、世界最貧国といった現場をこの目で見るまでは、子供たちと同じような感覚を持っていました。

 

  そこで、子供たちに、彼らと同世代の子供たちが今この時、置かれている状況を示す写真を何点か見せてあげてはどうでしょう(動画ではさすがにインパクトが強すぎます)。戦災地、災害地、難民キャンプ、病院等々、生きるために必死で闘っている子供たちを捉えた写真は幾らでもあります。

 

ヴィジュアルには力があります。同年代の子供たちが栄養失調のために骨と皮の状態になっている妹を抱き締めている姿。地雷を踏み、木っ端微塵となった弟の遺体の前で慟哭する姉の姿。自然災害によって家屋を流され、呆然と立ち竦む女の子の姿。多くを語らずとも、子供たちは感じるでしょう。子供たちは、世界情勢や各国事情といった難しいことはわかりません。ただ、目の前で同世代の友達たちが苦しんでいる、ことはわかります。そして、そっと語りかけてあげましょう。「これは今、皆さんと同い年の友達が向き合っている現実ですよ」と。

 

  子供たちは、自分たちがいかに恵まれた環境にいるかを悟るでしょう。「数学が苦手だ」、「将来の夢が見つからない」、「好きな子が振り向いてくれない」。色々な不満や悩みは持っているはずです。彼らにとっては、決して小さなことではありません。でもこの広い世界には、それとはまったく次元が異なる不幸な現実があることに気づきます。子供たちは、生半可な知識を持った大人たちよりも遙かに素直に反応してくれるはずです。「私たちは、幸せなのかも知れない」と。

 

  「幸せ」を知ることは「平和」に繋がります。自分たちが幸せであることを知ることで、他人の幸せも願うことが出来ます。この世界には、「幸せ」が一体何かさえ知らずに生まれ、考える余裕もなく育ち、一度も感じることなく死んで行く子供たちがたくさんいます。そういった現実を知り、自分事として捉えることからコミュニケーションは始まります。

  前回、子供たちは被爆者の皆さんと時間を共有し今回、空間を共有しました。次回は愈々、最も大切な被爆体験の話について考えてみたいと思います。