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松井一実広島市長は今月9日に開かれた定例記者会見において、今年8月6日に開催される広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式 (平和記念式典) へのロシア連邦とベラルーシ共和国に対する招待を、昨年に引き続き見送ることを明らかにしました。しかも昨年は、日本政府と”協議”の上での決断でしたが今年は、広島市独自の判断であると明言しています。

この事案については、昨夏にもブログ連載『ゆるやかな死 序章』(その⑥〜⑧) に綴りましたが愈々、同市が形骸化したモットー「国際平和文化都市」を自主的に取り下げるべき時期が迫りつつあるようです。

 

まずは広島市が今月8日、市長名で駐日ロシア連邦大使館 臨時代理大使オヴェチコ・ゲンナーディー公使参事官宛に送付した公式書簡を繙いてみましょう。

「被爆地ヒロシマの責務として、一たび核兵器を使用したらどういう結末になるのかを真に理解していただくために、貴国の大統領とその代理者である駐日大使を広島の地に招きたいと考えています」と、被爆地としての広島市の”建前”をことさらアピールしてはいるものの、続く文面では、

「今年もウクライナ侵攻が続いていることから、貴国に対する日本の姿勢について、各国代表等に誤解を生じさせ、式典の円滑な挙行に影響を及ぼすことがないようにするという観点から、平和記念式典への招待状の貴職への発出は見送らざるを得ないと考えております」と、「国際平和文化都市」を掲げる同市としての理念、覚悟が何ひとつ感じられない極めて稚拙な拒絶理由を挙げています。これでは単に「警備が大変なので、来ないで欲しい」と泣き言を並べているだけに過ぎません。

それにも関わらず、「つきましては、近い将来に、貴職が広島を訪問し、広島平和記念資料館の視察や被爆体験者からの証言の聴講により被爆の実相に直接触れていただく日が来ることを切望しています」と甘えて見せたところで、一体どこの誰が「わかりました。その際は宜しく」と応じるでしょうか。

 

解せません。広島市は原爆投下によって引き起こされた未曾有の惨禍を、どこの国であろうと、どこの誰であろうと二度と繰り返さぬために恒久平和を祈念し、「国際平和文化都市」を標榜し、平和記念式典を挙行したのではなかったのか。

1947年 (昭和22年) 8月6日に開催された第1回『平和祭』 (現在の平和記念式典の前身) において、当時の浜井信三広島市長がいみじくも「平和宣言」で、

この地上より戦争の恐怖と罪悪とを抹殺して真実の平和を確立しよう。永遠に戦争を放棄して世界平和の理想を地上に建設しよう。ここに平和の塔の下、われらはかくの如く平和を宣言する」と力強く語った広島のこころは一体全体どこへ消え失せてしまったのでしょうか。

 

各国代表が「日本の姿勢」についてどのような判断を下すかは、”平和特区”たる広島市の預かり知らないところです。また被爆地・広島市は、日本政府とは異なった立ち位置であって然るべきでしょう。例え紛争当事国であれ、核保有国であれ、此の地を訪れ広島平和記念資料館で被爆によって尊い命を亡くされた方々の悲痛な叫びを聞き、核兵器による残酷な爪痕を見、決してこの地獄を繰り返してはならないと決意を新たにすること。被爆者 小倉桂子さんの言葉を借りれば、

「ここに来たら、皆さんの心の声を聞いてください。そして皆さんが次に何をなさるかは、皆さんの正義感とか、皆さんの倫理観とか、そこを出発点にしていただきたい」。あくまでもニュートラルな立場を死守してこそ広島市は、世界から「平和のメッカ」として尊ばれるのではないでしょうか。

 

 

私が拙著『平和の栖〜広島から続く道の先に』でつぶさに追った”広島の憲法” 広島平和記念都市建設法の草案を考案・執筆した寺光忠参議院議事部長は、そもそもこの法案はシンプルに『平和都市法』と名付けたかったと述懐しています。地域を特定する「広島」、目的を限定する「建設」、さらには原爆や戦災復興を想起させる「記念」さえ、「恒久平和の人間理想を象徴し、同時にまた、戦争の放棄をも象徴するものとして、ひとつの都市を、この地上に作り上げる」といった崇高な精神を表明する上においては妨げとなる。広島、長崎のみならず「第三の被爆都市」を生まないように全人類の良心に訴えかける。これこそがこの法案の核心であり、同法に「法律」というよりは「宣言」に近い性質を持たせた拠り所であったと。彼は後に、

「『平和記念都市』とは『恒久の平和を象徴する都市』という意味である。この意味においては『平和都市』とだけ言ったほうが、理論的には良かったのである。ひるがえって『記念』という語は、正しくは『象徴』という語に置き換えられて、『平和象徴都市』とせられるべきものであったのである」とさえ綴っています。

 

さらに云えば、こうした「恒久の平和を誠実に実現しようとする理想の象徴」としての広島市の首長に対して同法は、「広島市の市長は、その住民の協力及び関係諸機関の援助により、広島平和記念都市を完成することについて、不断の活動をしなければならない」(第六条) と”市長の責務”を規定しています。今回の広島市の決断は、この”責務”を事実上放棄しているとも受け取れます。

なぜ、地元メディアはこうした本質論に踏み込まないのか。G7広島サミットが「政治ショー」だったと近視眼的に批判するのも良いでしょう。しかしながら、広島市のアイデンティティそのものが足元から揺らぎ、崩れ始めていることに気づかない、または気づかぬフリをしているようでは、ウォッチドッグ(watchdog) としての役割を手放したと云われても仕方ない。

 

   ロシア連邦によるウクライナへの軍事侵攻を理由に招待を取り止めるのであれば、大量破壊兵器保持を理由に2003年 (平成15年)、イラク共和国へ軍事侵攻を行った米国を始めとする有志連合をなぜ平和記念式典に招待したのか。政治的、宗教的中立性を一度でも欠いた式典は、二度と「平和の象徴」として見做されることはないでしょう。残念ながら広島は着実に、加速度的に終焉を迎えつつあります。すでにカウントダウンは、始まっています。