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広島市は、被爆の実相を今に伝える本川小学校平和資料館、袋町小学校平和資料館 (共に現在は広島平和記念資料館の附属施設)、平和公園レストハウス、中国軍管区司令部跡、多聞院鐘楼、そして旧・日本銀行広島支店を「国の史跡」に指定すべく文化庁に対して今月14日に申請を行いました。遅きに失した感はありますが、それでも晴れて指定されれば国庫から復元工事経費の補助を受けられることから (最大で対象経費の2分の1) そのメリットは大きいと云えるでしょう。

 

内、1936年 (昭和11年) に竣工した旧・日本銀行広島支店は、93年 (平成5年) に定められた『被爆建物等保存・継承実施要綱』に基づき、爆心地から5キロ以内に現存する被爆建物 (86件) のひとつとして、翌94年2月に被爆建物等登録台帳に登録されました。

私も店内で講演をさせて頂いた経験がありますが、鉄筋3階地下1階建ての延べ面積は3,214平方メートル。ギリシャ風の装飾が施されたクラシカルな建造物です。特筆すべきは同支店の地下にある堅牢な金庫(米モズラー社製)。爆心地から380メートルといった至近距離に建っていたため建物は甚大な被害を受けたものの、金庫は火災から免れたため被爆2日後には営業を再開しています。

市内にあった金融機関の建物はその殆どが焼失していたことから、同支店の窓口を12区分に間仕切りし、各銀行が入り支払業務を行ったと云います。以前、お目にかかったもみじ銀行の元・特別顧問 森本弘道氏は、「あの金庫が燃えていたら、広島の復興は大きく出遅れていたでしょう」と話して下さいました。

「お客様は皆、焼け出されて身分を証明するものなどお持ちでなかった。それでも構わず行員が一丸となって支払いを続けました。結果、不正を働いた人はまったくと云って良いほどいなかった。広島市民を誇りに感じるところです」。

  また、これら預金支払い業務に触発されて第一生命広島支社も、同月15日前後には市内の生命保険の契約者を対象に保険金の支払い業務を開始しています。当時の菊島奕仙支社長は、死亡証明書や保険証書がなくとも、仮設事務所を訪れた契約者には請求された通りの保険金を、署名と拇印のみで無制限に支払うといった驚くべき対応を取っています。さらには支社が焼失し、現金や小切手が手元にはなかったため、一般の領収書を小切手の代用として用いたと云います。

 

 

こうして広島の戦後復興の魁となった同・支店は、2000年 (平成12年) 5月に開かれた日本銀行政策委員会において、土地及び建物は広島市へ無償譲渡される方針が定められました。但し、この土地・建物が国の”重要文化財”に指定されることが付帯条件とされたため、同年7月に同支店が『広島市文化財保護条例』に基づく広島市指定重要有形文化財に指定されたことを受け、現在は暫定的に無償貸与といった形が取られています。

そのため広島市は”重文指定基準”を満たすべく復元工事の入札を2017年 (平成29年) に行いましたが4度にわたり不調となり (実は、ここにも広島市が抱える問題点が見え隠れしています)、5度目に漸く大手ゼネコン清水建設が施工業者に選ばれます。そのため予定よりも遅れること5年、2020年 (令和2年) 3月に復元工事に着手し、今年9月には1950年代の姿が復元される予定となっています。

 

ここで気になるのが”重要文化財”という上記付帯条件と、市の今回の発表による「国の史跡」といった”表現”の違いです。「指定文化財」といった大枠においてはどちらも同じカテゴリーとなりますが、文化財保護法 (法律第二百十四号)では”重要文化財”(第三章第一節) と”史跡名勝天然記念物”(第七章) とでは明確に区分が異なっています。

端的に云えば、文部科学大臣は「記念物のうち重要なものを史跡 (中略) に指定することができ」(第百九条)、「指定された史跡名勝天然記念物のうち特に重要なものを特別史跡 (中略) に指定することができる」(2) となっており、”重要文化財”は条文のトップに登場するだけに、文部科学大臣は「有形文化財のうち重要なものを重要文化財に指定することができる」。つまり両者の間には相当な”格”の違いがあることがわかります。

これは実際に国庫から支払われる補助金の額にも如実に現れており、例えば広島県・府中市の下岡田官衛遺跡 (史跡) の場合は135万円ですが、同・庄原市の堀江家住宅 (重文) ともなれば3,995万円にまで跳ね上がります (「令和5年度 補助金交付一覧」より)。

 

今回、広島市は6つの被爆建物を「国の史跡」に申請したわけで、認可基準の極めて厳しい”重要文化財”ではあり得ません (特に多聞院鐘楼の鐘は戦時中に供出されており、現在は1949年に再鋳され開眼供養された鐘が吊らされています)。ということは、こと旧・日本銀行広島支店について云えば、ハードルを下げたことになります。日本銀行はこうした”契約変更”を承認しているのでしょうか。

原爆ドームも1995年 (平成7年) に”史跡”に指定されましたが、その上位カテゴリーは”特別史跡”であり、市は”重要文化財”ではなくこちらに申請すべく調査を進めると発表しています。個人的には原爆ドームは、すでに”重要文化財”に指定されている広島平和記念資料館や世界平和記念聖堂と同等、もしくはそれ以上に歴史的価値の高い建築物だと捉えていますが、果たして広島市民はどのように考えているのでしょうか。事ある毎に”被爆体験の風化”を叫ぶ割には、被爆建物の意味を真に理解しているとは到底思えない。それが哀しいかな、被爆78年を迎える今の広島の姿なのでしょう。

 

 

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