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  被爆者の皆さんが体験談をお話される子供たちには、事前に原爆について、原爆被害について、原爆症について等々、教科書に書かれている事実は、しっかり予習して来て頂かなければなりません。被爆者の皆さんが推奨する書籍や資料を読む、映像を観る。もっと云えば調べ学習を行いその日に備えて頂く。これは、被爆体験を伺うにあたり最低必須条件として義務づけるべきでしょう。私に取材に来られる記者さんの中にも時折、拙著をまったく読んでない方がおられますが、これは同業者として頂けない。自戒を込めて云えば、予習は最低限の礼儀だと考えます。

 

  被爆者の皆さんがこうした原爆にかかる歴史的事実を一から説明する必要はまったくありません。ただ、受け身の教育に馴らされて来た子供たちは、事前に学んだ内容を被爆者の皆さんが目の前で解説してくれるだろう、といった思い込みがあります。実際に、多くの先生方はそのような授業の進め方をされています。云ってみれば事前学習の確認作業です。

 

  しかしながら、当然のことながらそうは問屋が卸しません。皆さんが実際に体験したあの日のことを伝えてあげて下さい。皆さんしか知り得ない真実を伝えてあげて下さい。100名の被爆者がいれば、100様の経験があり、100真実があります。教科書には、サラリとひと言「ヒバクシャ」と書かれていますが、そんな無茶な話はありません。あなたはあなたです。他の誰でもない「あなた」の声を聞かせてあげて下さい。

  出来ることならば、身近な体験を話してあげて下さい。あの日、街を覆っていた臭気、厭でも聞こえて来た泣き叫ぶ声、声、声、そして瓦礫に、遺体に触れた時の感触。皆さんが目、鼻、耳、口、指先または足の裏といった五感で感じたすべてを教えてあげて下さい。それこそが、当事者でなければ伝えることの出来ない真実なのです。

 

  中には、そんな話をすれば子供たちにトラウマを与える、と非難するひともいるでしょう。しかしながら私は、一定のトラウマは必要だと考えています。トラウマといった言葉が適切でなければ、良心の負荷と云い換えても良いでしょう。先々、彼らが大人になれば、広島のことなどすっかり忘れてしまいます。日々の生活に追われ、広島での体験は頭の中からきれいさっぱり消え失せていることでしょう。

それでも、例えばテレビやネットで「カープ最下位決定!()だとか「広島風お好み焼き()が大人気!」といった何気ないニュースに触れた時、ふと「そう云えばあの時、話をしてくれた被爆者のおじいちゃんは今、どうしているだろう」と思うでしょう。「あれから資料館には行っていないけれど、遺品はどうなったのだろう?」と気になるはずです。

「もう10年前か。そうだ。次の週末、久し振りに広島へ行ってみよう」、「自分の娘、息子を連れて資料館へ行ってみよう」。今度は彼らが時空を超えて、皆さんの語り部となるかも知れません。

 

縁を結ぶ、とはそういうことなのではないでしょうか。他愛のない話は1週間も経たずに忘れ去られます。でも、心の奥底のどこかに、チクリと刺さった棘は抜けません。かつての子どもたちは、その棘を抜き、弔うため、再び広島を目指します。そして、そこで初めて何かを見つけることになります。私たちが決して忘れてはならない大切な何かを。

 

今日も、広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)の前では、修学旅行で訪れた学生たちが神妙な顔つきで手を合わせていることでしょう。祈りを終え、振り返った子供たちは、すかさずピースマークをかざし、満面の笑顔で記念写真に興じます。広島では、ありきたりの風景です。

こうした態度に接し、苦々しく思う方もいらっしゃるでしょう。でも、子供たちを信じてあげて下さい。彼、彼女たちは必ず広島から何かを持ち帰ります。時間はかかるかも知れません。でも、いつの日か、必ず何かを見つけます。皆さんの言葉には、それだけの言霊が宿っています。

この連載、もう少し続けます。