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今月16日に、野口聡一宇宙飛行士を含む4名を乗せた有人宇宙船『クルー・ドラゴン』が打ち上げられました。これは、米宇宙開発民間企業スペースXが製造した宇宙船で、米航空宇宙局(NASA)が有人宇宙輸送システム「スペースシャトル計画」を9年前に中止して以来の快挙となりました。

これまでNASAは、ロシアの宇宙船に便乗する形で国際宇宙ステーション(ISS)へ人員を運んでいましたが、今後は同社や航空機大手ボーイング(CST-100スターライナー)といった民間企業が参入し(コマーシャル・クルー・プログラム)、宇宙飛行のバトンは「官」から「民」へと渡されて行くこととなります(スペースXは、NASAからすでに6件、26億ドルの有人宇宙飛行計画を受注しています)。

 

もう32年も前のことになります。1988年9月29日午前11時37分。私は、フロリダ州のケネディ宇宙センターでスペースシャトル『ディスカバリー』(STS-26)の打ち上げに立ち会っていました。その2年8ヶ月前にはハワイ州出身の日系三世エリソン・S・オニヅカ飛行士を含む7名が搭乗した『チャレンジャー』(STS-51-L)が打ち上げから僅か73秒後に空中分解するというシャトル計画最大の悲劇に見舞われていたため、『ディスカバリー』の打ち上げは宇宙開発を国是として掲げていた米国の、威信を賭けた”チャレンジ”となっていました。私にとっても、これが初めてのスペースシャトル取材でした。

 

「リフトオフ・オブ・アメリカ・リターン・トゥ・ザ・スペース!(Lift-off of an America return to the space!)」

発射台から数キロ離れた地点に設置されたプレスサイトにアナウンスが流された瞬間、世界各国から集まった記者たちは、誰からともなく握手を求め、ひっしと抱き合いました。そのどの瞳にも、涙が光っていたことを忘れることが出来ません。今にして思えばそれは、人類の叡智が結集した奇跡の瞬間に、ひとりの人類として立ち会えたという感動の発露であったように思います。

当時は新聞記者を始め、日本にはまだ宇宙開発を満足に取材出来るエキスパートがいなかったため、NASAの広報官から「やってみないか?」と誘われたのもいい想い出です。残念ながら私には工学系の知識が乏しかったことから、その道は選択しませんでしたが、その気になっていれば今頃は、同州のリバーレイクス保護地区辺りでワニと戯れていたかも知れません(笑)。その後もNASAへは何度も訪れ丁度、日本で注目を集め始めていた地球環境問題を中心に取材していました。

 

民間企業に門戸が開かれたことにより、それほど遠くない将来、「新婚旅行は宇宙空間で♪」といった時代がやって来るでしょう。現在、往復で約9000万ドル(約100億円)と云われている料金も、あと20年もすればサラリーマンの年収程度で体験出来るようになるはずです。

「地球人」が「宇宙人」になる。夢のある話ですが一方で、過去数年間で米中ロを始めとする各国の宇宙空間への軍事的アプローチも活発化しています。米国は2019年に宇宙軍を”第六の軍”として創設し、宇宙空間における安全保障の確保に踏み切りました。現時点で宇宙軍が保有する攻撃的兵器は衛星電波妨害装置のみですが、やがて極超音速(ハイパーソニック)兵器や対衛星攻撃(キラー)兵器などが軍事衛星に装備されることとなるでしょう。事実、これまで打ち上げられた全人工衛星の約6割は軍事目的でした。戦争の舞台、最前線はすでに、地上から宇宙空間へと拡がっていることは、知っておく必要があります。

 

私が初めてスペースシャトルを取材した『ディスカバリー』(STS-26)打ち上げの瞬間を伝えるNASAの公式映像。13:00辺りから打ち上げ開始。28:30前後からは、様々な角度から捉えられた打ち上げの様子を見ることが出来ます。

こちらは今回打ち上げられた有人宇宙船『クルー・ドラゴン』を乗せたファルコン9のライヴ映像。表示の仕方やアナウンスなどに時代の流れを感じます。