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現在のニッポンの姿は、例えてみれば定年を間近に控えた会社員のようなものです。役員になれるとふんぞり返っていたら、隣の席に座っていたやたらと図体のデカい同僚がメキメキ頭角を現し、あれよあれよという間に追い抜かれてしまった。なけなしの退職金も、気がつけば既に住宅ローンや子供の学費に費やし、ほとんど残ってはいない。「無い袖は振れない」とばかりに子供たち(地方自治体)には、「もう囓るスネはないので自立してくれ。自分で稼いでくれ」と、宣言せざるを得ない。

 

突然そんなことを云われたところで、スネ齧り体質がすっかり身についてしまった子供たちは戸惑うばかり。「とうちゃん、かあちゃん、そんな殺生な〜。うちとらには身を立てるだけの資質も能力もござんせん」。致し方ないので、その場限りのアルバイトに精を出す。云われた通りにやっていれば幾ばくかの日銭は稼ぐことが出来る。「そのうち何とかなるさ」と、ぼやきつつ…。

ところが、そうこうするうちに知力、体力を要する生業に付くチャンスを悉く逸してしまう。気力も衰え「ま、いいか。このままでも。死ぬわけではないし…」と、可も不可もない”顔の見えない”横並びの一員に。やがて、「右を向いても 左を見ても 馬鹿と阿呆の 絡み合い どこにおらがお国の 夢がある」と泣きが入るが、時すでに遅し。自己破産へとまっしぐら。何を隠そうこれが地方都市の置かれている現状でしょう。

 

地方都市がその土地ならではのキャラクターを持つことは並大抵のことではありません。どうしても大都会・東京を範にし、”ミニ東京”を目指してしまう。ただ、東京人のひとりとして云わせて頂ければ、東京はふたつも要りません。況してや東京の縮小版になんぞ何の魅力も感じない。

広島市は、広島市ならではのカラーを押し出してこそ光り輝くというもの。広島もんも、地域に密着したオリジナリティ溢れるコンテンツを築くためなら誇りを持って汗をかけるはずです。何よりも大切なのは、歳入(一般会計)の 2割以上を占める国庫支出金や約 7%の地方交付税を増やしてくれと請願することではなく、地場産業の活性化を図り市税収入を 4割、あわよくば半分以上にまで持って行く知恵と行動力。そうしてこそ国に対して対等な立場で物言える地方自治体となる。云うまでもなく、明確なリバイバル・プランがなければ、いくら国から税源移譲されたところで、いつの間にやら食い潰してしまうのがオチでしょう。

 

そこに私がこの連載で提案して来た”広島スタンダード”の肝があります。政府は元より高級官僚が、首を縦に振らざるを得ない確固たるアイデンティティを持つということです。それは何か? 「平和」です。繰り返しになりますが、もしも広島市が政策から産業構造、観光資源、教育システムに至るまで、すべて「平和」を軸に再構築する、「平和」に資するか否かを基準にする、と宣すれば、世界の注目と期待を一身に集めることとなるでしょう。”広島モデル”の後を追う都市も出て来るはずです。政府としても無視出来なくなる。これからの時代、広島市がある意味において「平和産業」(Peace Industry)の”出島”として機能する、”公益資本主義”の先陣を切ることは決して夢ではありません。

但し、この「平和」、過去半世紀余りにわたってすっかり色のついてしまった「平和」であってはなりません。カタカナの「ヒロシマ」ではない「広島市」が、次世代と共に再定義する「平和」でなければ意味がありません。

 

今の広島市に欠落しているのは明確な未来像です。この街の近代は、昭和20年8月6日以前と以後とで真っ二つに「分断」されています。常に過去を向き、まるで未来を語ることを罪悪視しているかのようにも見受けられます。保守的な地域性と相まって、変化を極度に嫌う。「風が悪いけぇやめぇや」と。

しかしながら「平和」は、広島市が原爆投下によって背負わされた十字架であると共に、奇跡の戦後復興を為し遂げた「武器」でもあります。(長崎市を除けば他のどの都市も持っていない、持ち得ない世界に通用する強力な「武器」です。広島市が世界で初めて冠した「国際平和文化都市」の意味を今一度、市民も真摯に捉え直し、前を向き、胸を張って未来へ向けてバージョンアップして行く。僭越ながら、これしか広島市が迫り来る激烈なサバイバル競争に生き残る道はないと考えます。