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日本人ほど他国にどう見られているかを気にする国民はいません。良く云えば好奇心旺盛・勉強熱心。悪く云えば、体裁を繕い過ぎる、どうでも良いことにこだわり過ぎる。日本以外の国々は小国であれ、他国からどう思われようがお構いなしです。間違っていようが正しかろうが、我が道を往く。自国民が自国民をご丁寧に論じた『日本人論』なる書籍がベストセラーとなる国など日本くらいのものでしょう(この拙文もある意味、『日本人論』ですが)

 

「日本って、そんなに欧米からは重要視されていないのですか?」といった質問を屡々受けます。私の答えは、「イエス」です。そもそも地球が宇宙の中心だと思っていた西洋人が愛を叫んでいた当時は、日本なんざ鉢状の海からこぼれ落ちていたわけですから。そんな未開の地に浮かぶちっぽけな島国のことなど眼中にありません。

 

マスレベルで欧米人が日本の存在を初めて知ったのは日清戦争を経て、帝国海軍がロシアのバルチック艦隊を撃破した際でした。「おぉ、なかなかやるじゃないか」と、一目置いた。しかしながらそれは、欧米から見ればド田舎の極東 (Far East) の国にしては良くやった、といった程度の認識に過ぎません。こういうことを書くと、必要以上に意気消沈したり、自虐的だと批判する者がしゃしゃり出るのもまたこの国ならではの反応です。

 

米国に留学していた当時、私は第二次世界大戦中に発行された『Newsweek』や『Time』誌といったニュース媒体を繙き調査研究をまとめた経験がありますが、どのニュース雑誌もトップページは欧州戦線の動向を伝える記事で埋め尽くされていました。稀に”JAPAN”の見出しがあれば、大体は「我々は今、日本とも闘っているので警戒しなければならない」といった注意喚起の記事でした。我々にとっては歴史的一大事であったあの戦争も、米国にとってはあくまでも背後でガチャガチャやっている些細な争い事に過ぎなかったわけです。帝国陸海軍と相対したダグラス・マッカーサー元帥の米政府に対する不満もそこにありました(詳細は拙著『平和の栖〜広島から続く道の先に』をご一読下さい)

 

「いやいや。米国にとって日本は今や重要なパートナーだろう。日米同盟然り。戦後、両国の関係は様変わりした」と仰る方もいらっしゃいます。気持ちはわかります。確かにホンダやトヨタ、ソニーの製品が市場を席巻し、我が国は(かつて)世界第二位の経済大国にもなりました。しかしながら米中西部を訪れてみれば、未だに「YAMAHA」が日本企業であることを知らない人々が大半であることに驚かされます。米国の日本人観は過去 2世紀にわたり、ほとんど変わっていません。

 

  ただ日本は、他の国々とは異なり、(終戦から昭和47年まで米国によって直接統治された沖縄を除き)一度も欧米によって植民地化された経験がありません。そのため、彼らの世界観のベースであるところの厳然たるピラミッド型階級社会(Class)には収まらない。こぼれ落ちてしまう。何だか良くわからない国というわけです。これが日本という国にとっての幸運であり、ジレンマの要因ともなって来たわけです。

 

驕り高ぶることなく、かと云って卑下することもなく、冷静に我が国の立ち位置を認識すること。そこからしか、良好な外交関係は結べません。自らが信じる道を往く。ご心配なく。皆さんが思っているほど他国は日本に関心を持ってはいませんから。

 

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