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かつて私がベトナム社会主義共和国やカンプチア人民共和国 (現・カンボジア王国) を精力的に取材して廻っていた頃にお世話になった熊岡路矢さん (国際協力・社会発展研究所・所長、元・日本国際ボランティアセンター所長) の講演会が先週16日に早稲田奉仕園・スコットホール (東京・早稲田) にて催され、約30年振りの再会を果たすことが出来ました。

 

私が、まだ内戦中であったカンプチア人民共和国を初めて訪れたのは1987年 (昭和62年) のこと。米国留学を終え、帰国してまず初めに志したのは「アジアを自らの目で見て、自らの足で歩くこと」でした。とは云え観光客は元より、自分探しの旅と嘯くバックパッカーや『深夜特急』を信奉する夢見がちな旅人たちが訪れるいかにもアジア的なスポットには端っから興味はない。そこで選んだのが当時は、報道関係者でさえ入国が極めて難しかったベトナム社会主義共和国とカンプチア人民共和国でした。

 

その頃、熊岡さんは日本国際ボランティアセンター (JVC) のカンボジア担当として現地入りされていたため、同国の政治・戦闘状況に関するレクチャーを始め、様々なアドバイスを頂きました。タイ王国との国境に設けられた難民キャンプにおける取材も、熊岡さんやJVC現地スタッフの皆さんの指導なくして成し得ませんでした。

JVCは当時、井戸掘りによる生活用水の確保や農業技術指導を通じて、ポル・ポト時代に破壊され尽くしたコミュニティの再生を図っていました。その後、日本政府がカンボジア復興に主導的役割を担った際には、日本国内のNGOを束ねる『カンボジア市民フォーラム』を起ち上げ、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC) と共に政策提言型のアドボカシーを行い、カンボジア社会の自力再生に多大な貢献を果たしたことでも知られています。

 

 

私自身、今はインドシナ半島取材から遠ざかっていることから先月、カンボジアを訪れたという熊岡さんの現地報告『NGOが見たカンボジア40年、人権・人道の観点から」を大変興味深く拝聴しました。

かつてはステークホルダーのひとりに過ぎなかったフン・セン首相が、1991年 (平成3年) のパリ和平協定以降、ある意味において天才的な政治手腕を発揮し、国連や東南アジア諸国連合 (ASEAN) を手玉に取りつつ、国内最大野党のケム・ソカ党首を国家反逆罪で逮捕。党を”合法的に”解散させただけに留まらず、今年7月の総選挙 (下院議員選挙) では選挙法を改正することで、与党 人民党を圧勝に導くといった暴挙に出ました。

私たちが安穏としている間に、周辺のミャンマー連邦共和国やベトナム社会主義共和国、タイ王国でも、程度の差はあれども「力」による独裁政治が東南アジアを席巻しています。

 

私たちにとって東南アジア諸国は近くて遠い国々。特に戦後は、日本経済との相互依存関係の強弱によって注目度が様変わりして来ました。人権が蹂躙されていようが、武力弾圧によって市民が虐殺されていようが、内政不干渉の原則を楯に見て見ぬふり。在留邦人のリスクが高まって初めて、マスメディアもニュースとして取り上げる事態が続いています。

いかにして武力に頼ることなく、自国民の保護という国家の基本的義務を果たす能力がない、または果たす意志のない国家に対して国際社会が「保護する責任」 (Responsibility to Protect) を行使するか。”軍隊”を保有しない我が国に向けられる各国の期待度は高く、リーダーシップを発揮出来る事案は多々あります。国際法上の保護法益が揺らぎつつある現在、そうした地道な外交努力が、ひいては日本の国益にも繋がることを私たちもしっかと認識しておくべきでしょう。