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先週 7日(火)、明治学院大学・白金キャンパス (東京・白金台) において開催された緊急シンポジウム『とどまることを知らない暴力〜私たちが今ガザで目にしていること』に参加し、パレスチナ自治区ガザとエジプト・アラブ共和国との国境線上で支援物資の搬入を行っている赤十字国際委員会 (ICRC) の榛澤祥子駐日代表や東京経済大学の早尾貴紀教授、明治学院大学の東澤靖教授によるガザの歴史的背景説明および現状報告を伺いました。

パレスチナ問題は、ヘブライ人 (ユダヤ人) がエジプト新王国第19代ラメセス2世の治世 (紀元前1230年頃) にエジプトを脱出し、”約束の地”を目指してパレスチナへ移り住んで以来、時代によって形を変えながらも同気相求、或いは近親憎悪を繰り返して来ました。両者の確執が血で血を洗う殺戮にまで発展したのは、云うまでもなく第一次、第二次世界大戦を経て1947年 (昭和22年) 11月29日、国際連合において採択されたいわゆる「パレスチナ分割決議」 総会決議181 (Ⅱ) 以降、現代に入ってからのことです。

 

今回のシンポジウムでは、イスラエル国防軍によって現在行われているパレスチナ自治区ガザへの軍事侵攻における国際人道法 (International Humanitarian Law) の在り方について議論が交わされました。先にこのブログでも記した通り、「国際人道法」という名称の条約そのものは存在せず、1949年に採択された「ジュネーブ四条約」や1977年の二つの追加議定書、2005年の第3追加議定書を軸とした様々な条約と慣習法によって成り立っています。

拙著『平和の栖〜広島から続く道の先に』でも綴りましたが、そもそも戦時において「人権」、人道主義が提起されたのは1899年 (明治32年) に開かれた第1回 万国平和会議で採択されたハーグ陸戦条約(Convention respecting the Laws and Customs of War on Land以降のことであり、それまでは国家間の紛争の解決手段としての「戦争」における戦闘員と非戦闘員の違いや捕虜・傷病者の扱い、使用してはならない戦術や兵器の規定等はまったくなく、まさにやりたい放題だったわけです (戦争無法主義)。

 

今回の紛争勃発以前に、パレスチナ自治区ガザとヨルダン川西岸地区において、十分な食料を得ていないパレスチナ人の比率を示したグラフ。特にガザでは恒常的に食料不足が生じていたことがわかります (米世論調査会社ギャラップ調べ)。

 

つまり我々人類が、共通概念としての「人道主義」というものに目覚めたのは僅か1世紀ほど前のことに過ぎず、よって現行の国際人道法には不備な点が多々見受けられます。戦争犯罪において個人を訴追・処罰する目的で国際刑事裁判所 (International Criminal Courtが2003年 (平成15年)になって漸く設立されたとは云え、戦争を主導した責任者を処罰することは現実問題としては不可能に近いと云って良いでしょう。事実、ロシア連邦によるウクライナへの軍事侵攻に伴う「戦争犯罪、人道に対する犯罪」について同・裁判所はウラジミール・プーチン大統領とマリア・リボア・ベロア大統領全権代表に逮捕状を発行しましたが、云うまでもなく未だ執行されてはいません。

各国の「正義」の上位概念としての国際人道法 (国際法) が機能するか否かは我々が、軍事的利益と文民の不利益とを秤にかけることなく (均衡性の原則)、「戦争」を明確に「悪」と定め、個人の”人間性”に重きを置いた真の人道主義を打ち立てられるかどうかにかかっています。

かつて”流浪の民”と称されたユダヤ人が、旧約聖書に登場する古代ユダヤ=イスラエル王国の最大図版である”エレツ・イスラエル”(Eretz Israelを実現すべく大イスラエル主義を強硬に押し進め、パレスチナ人をガザならびにヨルダン川西岸地区から追放し、新たな”流浪の民”を生み出すことにでもなれば、憎悪の連鎖は今後も繰り返すこととなるでしょう。