20200722.jpg

 

   被服支廠倉庫の保全問題は30年、40年も前から繰り返し語られて来ました。しかしながら議論が深まるどころか年々、関心は薄まるばかりです。敢えて厳しい書き方をします。実際に、広島県民で被服支廠倉庫の存在そのものをご存じの方はどのくらいいらっしゃいますか? おそらく1割にも満たないでしょう。内、真剣に4棟保全を望んでいる方は? 僅か数千名といったところでしょう(広島県人ではない私は、もう少し知名度があるものと思っていましたが目測を誤りました。事実、このSNSにしても広島県人以外のフォロワーが多いとは云え、「被服支廠」に関する投稿はまったくアクセスが伸びません)。なぜか? 理由は簡単です。保全を訴えて来られた方々がこれまで「共通言語」にはまったく無関心であり、(マスメディアも含め)寧ろ「共通言語」に置き換えることに二の足を踏む、どころか抗して来られたからに他なりません。

 

   私はこれまで、異文化との交流、様々な世代とのコミュニケーションを通じて「共通言語」の大切さを身を以て体験して来ました。いくら重要な事象・事案であろうと、「共通言語」を構築せずして、時空を超えて共感を呼び起こし、行動へと誘うことは出来ません。

   例えば私が20歳前後だった頃、”青年時代”にタイムスリップしたとしましょう。その頃の70年ほど前の出来事はと云えば明治天皇崩御、第一次世界大戦勃発の頃合いです(苦笑)。古老に「辛亥革命の時はのぉ〜」と語られたところで、おいそれとはリアリティを持てない。余程のことがない限り、単なる遠い過去の話として聞き流していたでしょう。つまり何10年も前と同じ”語り”をしていたのでは、残念ながら人心を惹きつけることは出来ない、ということです。

 

   広島の子どもたちと話していると皆、一様に「平和学習」に対しネガティヴな反応を示します。彼らはとうの昔に、形骸化した語り口に倦み、辟易し、興味を失っている。そんな彼らに向かって「あんたらにゃ被爆の実相なんてわかりゃせんじゃろう」と居丈高に云い放つのは、決まって当の被爆者ではなく”被爆を知らない子どもたち”だというのも、広島が内包する極めて深刻な問題です。

   嘘はいけません。脚色する必要もまったくありません。ただ、聞く側の立場になって、時代の変化に合わせた構成、ストーリーテリングは考えて然るべきでしょう。今、切に求められているのは発想の転換です。被服支廠倉庫の保全問題とて同じことで、歴史的重要性をしっかりと押さえながらも、「過去」のみを営々と語るのではなく、この建造物が持つ可能性、「未来」に向けた「夢」を明確に示すこと。これなくして戦後流入した多数の県民はもちろんのこと、被爆体験からは縁遠くなった被爆3世、4世の賛同も得ることなど到底出来ません。

 

   被服支廠倉庫はまだそこに建っています。過去の亡霊ではありません。時計の針を動かしましょう。戦後75年を生き抜いたその姿、令和2年夏の等身大の姿を真正面から見詰めてあげて下さい。