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私は性悪説論者ではありません。しかしながら多くの人々は、実利で動くことを知っています。広島で云えば、広島平和記念都市建設法の住民投票の際も、原爆ドーム保存の際にも、市民は綺麗事だけでは動かなかった。そこに某かの利益が見込めると踏んだからこそ重い腰を上げました。批判もあるかと思われますが、これは厳然たる事実です。

 

翻って被服支廠倉庫について云えば、なぜこの建造物は75年もの長きにわたりそこに建っているのでしょうか。戦後、幾多の被爆遺構が、様々な理由から無残にも解体、撤去されて来たにも関わらず(同・倉庫よりも余程、歴史的価値のある建物も多々ありました)。これまで全棟保全を求める方々もマスメディアも、「86日」を語るばかりで誰一人としてこの極めて基本的な問いかけをして来なかった。誰も、疵を負いながらも必死に建ち続けた被服支廠倉庫の戦後を、真摯に見詰めては来なかった。

 

理由は明快です。被服支廠倉庫には、利用価値があったからです。それ以上でも以下でもありません。被服支廠倉庫は被爆後、罹災者の臨時の救護所となり、その後は広島高等師範学校(現・広島大学教育学部)の校舎に、昭和27年からは県立広島工業高校の校舎の一部として使用され、同31年から平成73月までは日本通運の倉庫として活用されていました(平成6年に広島市が被爆建物として登録)。その後の過去25年間、同・倉庫は利用価値を失い放置されて来たわけです。要は、広島県が所有する3棟の保全・修復に要する約100億円もの費用を投じるに資する新たな利用価値(利活用法)を見出す。これしか被服支廠倉庫を救済する手立てはありません。

 

とても嫌な言い方にはなりますが、この案件は今や「お金」の問題です。少なくとも10年前であれば、情緒的な議論を深める時間的余裕もあったでしょう。しかしながらタイムリミットが約半年後に迫った今の段階では、現実から目を逸らせば、全棟保全など夢のまた夢です。逆に云えば、過去を語るのではなく、保全費用をいかにして捻出するか、といったリアリスティックな観点から考えを深めた方が、より適切な利活用法が見つかるはずです。

 

この問題は、飽くまでも広島県民マターです。広島市民以外の、被爆に対する関心度が薄い県民の賛同も得なければなりません。広島市民のみならず県民にも利益があると思わせる施策でなければ受け入れられないどころか、関心を集めることさえ難しいでしょう。私が、昨年末から繰り返し、ある意味、突拍子もない利活用法を提案し続けている理由がそこにあります。

 

被服支廠倉庫の纏った過去の歴史を継承しつつも、多数の県民が将来に繋がる希望を抱ける施設。「負の遺産」のみならず、広島の新たなアイデンティティの橋頭堡となる「正の遺産」をここに構築出来るかどうか。今こそ広島県民の叡智が求められています。