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ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールが1839年に発明した世界初の写真撮影法(ダゲレオタイプ)が世に出た当初、人々はこぞって亡くなったばかりの家族の遺影を撮って欲しいと懇願しました。

 

死者の面影はそれまで、画家を雇い肖像画を描かせられる一握りの富裕層以外の人々にとって、脳裏に焼き付けるしか手立てがありませんでした。愛しきひとの記憶はやがて薄れ、輪郭を失い、忘れ去られてゆく。そのため写真は、一種のデスマスク、「死」の記憶装置として用いられたのでした。「記憶」の民主化は、写真技術の登場から始まります。

 

被爆二世の写真家 宮角孝雄さんは、ライフワークとして2000年元旦から原爆ドームを背景に様々な生者のポートレイトを撮り続けています。数万人ものいのちを一瞬にして奪い去った原爆の象徴原爆ドーム。無数の死者たちの無言の叫喚が今も谺するその前で、ひとは、生者は何を想い、いかに葛藤し、そして祈るのか。

 

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拙著『平和の栖(すみか)〜広島から続く道の先に』の表紙には、宮角さんの作品を使用させて頂きました。

 

宮角さんの写真展『GROUND ZERO HIROSHIMA「命」』が今月16()まで、広島市内のブックカフェ『sofa(基町クレド パーセラ3F)で開催されています。いずれは死者となる生者を愛おしむひとりの写真家の、いのちの讃歌が聞こえて来ます。

 

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私のポートレイトも昨夏、撮影して下さいました。