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メコン・デルタで闘う南ベトナム解放民族戦線(NLF)の女性兵士(ベトナム通信社 1973年)。

 

53年前のこの日、近代史を塗り替えた”大事件”が勃発しました。1968年1月30日未明、北ベトナム人民軍(NVA)と南ベトナム解放民族戦線(NLF)は、ベトナム共和国軍および駐留米軍に対して未曾有の大攻勢を仕掛けました。俗に云うテト攻勢 (Sự kin Tết Mu Thân ) です。

 

ベトナム民主共和国(北ベトナム)勢力は、ベトナム共和国(南ベトナム)全土で一斉蜂起。各地の米軍基地に対して総攻撃を展開しただけではなく、都市部に潜伏していたNLFの戦闘員たちは政府関連施設やタン・ソン・ニャット国際空港、ラジオ局などを同時多発的に襲撃しました。「テト」はベトナムの春節(旧正月)にあたり、抗仏戦争時代も含め、それまでは休戦期間とする慣例があったため、まさに寝耳に水の奇襲作戦でした。

 

特に首都サイゴンにおいて、米国大使館や大統領官邸が一時的であったとは云え占拠された事実は、米国を震撼させます。圧倒的な軍事力を擁した米軍は、北ベトナムが大攻勢に転じるほどの戦力、ネットワークを備えていたとは想像だにしていませんでした。

軍事作戦としては、南ベトナム勢力の猛反撃に遭い、撤退を余儀なくされるなど大きな成果は得られませんでしたが(古都フエを巡る攻防戦では、美談だけには留まらずNLFによる修道女を含む民間人の虐殺も起こるなど凄惨を極めました)、米軍が泥沼に入りつつあることを遠く離れた米国本土に知らしめ、反戦運動を勢いづける効果がありました。

 

このテト攻勢を契機に米国政府は国内の反戦ムードを押し留めることが出来なくなり、パリ和平協定の場に引き摺り出されることとなります。米国は「名誉ある撤退」を模索するようになり、やがてベトナム戦争は、アジアの小国が軍事超大国を打ち破るといった歴史的快挙でその幕を閉じます。

ベトナム人と接していると時折、ハッとさせられるほど凜々しい面立ちと出会うことがあります。それは中国、フランス、そして米国といった大国を相手に何世紀にもわたり戦い抜き、祖国を守り抜いたプライドの現れなのかも知れません。

 

ベトナム南端カマウ半島のマングローブ林内に設けられた南ベトナム解放民族戦線(NLF)の臨時野戦病院(ベトナム通信社 1970年)。

 

 参考までに、米国の報道では屡々NLFを「ベトコン」と称しますが、これは「ベトコンサン」(越南共産: Vit Nam Cng sn)の略で、NLFの蔑称です。

 

テト攻勢時のサイゴン攻防戦を描いたベトナム民主共和国(北ベトナム)制作のドキュメンタリー・フィルム(ベトナム語)。南ベトナム解放民族戦線(NLF)が撮影した貴重な映像が含まれています。前半部分で炎上しているのは華僑系住民が多く住むサイゴン市内のチョロン地区。リュックに半ズボンといった軽装備の兵士たちが NLF で、後半に登場する平べったいヘルメットを被った兵士たちが北ベトナム人民軍(NVA)です。

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