20211117-1.jpg
 

 

   私は、拙著はもちろんのことフェイスブックの投稿であっても、「国名」は可能な限り正式名称で表記するように心掛けています。それは何も、キッチリ書かなければ気が済まない潔癖症だからといったわけではありません。短縮形は、まずもって相手国に対して失礼であること。加えて、正式名称を用いた方が、各国の国情・政情がよりわかりやすくなるためです。

   例えば「イラク」。正式名称は「イラク共和国」ですが、1958年にはヨルダン王国と共に約半年間「アラブ連邦」と名乗っていました。それ以前は、メッカの太守ハシーム家のファイサル1世を国王に戴いた「イラク王国」でした。このように「イラク」一国をとってみても、英委任統治領メソポタミアから1932年に独立を果たして以降、近・現代においてさえ様々な歴史的変遷を辿っています。

 

  「いや。テレビでも新聞でも”イラク”なのだから、それでいいではないか」と、仰る方もいらっしゃるでしょう。マスメディアの性向をご存じでなければ、そのように考えたところで致し方ありません。マスメディアにとって「短縮化」、または「単純化」は文章作法の基本です。特にテレビでは秒数、新聞においては文字数が定められているため、限られた枠内にどれだけの情報を詰め込めるかが勝負の分かれ目となります(連日、記事を執筆しているにも関わらず、間を活かした味わい深い名文をしたためられる記者がひと握りしかいないのは、長年にわたるこうした”訓練”の所産です)。さらにはネット時代の到来により情報量は極限にまで絞り込まれている。SNSを駆使したからと云って”情報通”を気取るなんぞ愚の骨頂。テレビ、新聞、ネットからは一定の”情報”は得られるものの、”知識”を得ることは出来ません。

 

   国名の短縮化も、文字数を減らすための方便に過ぎません。さすがに私も、「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」は「英国」と書き表します。但し、「イギリス」という国家はこの世には存在しません。英国を構成する4つののひとつである「イングランド」に近しい表記であるため、イングランド人以外の英国人に対しては非礼にあたる「イギリス」を、私は極力使わないようにしています。

   このように名称の短縮化は、様々な問題を引き起こします。「黒人」はその最たるものでしょう。欧米のマスメディアではすでに、肌の色を示すこの表記は不適切とされ、アフリカ系米国人(African-American) が用いられています。人種差別に対する感受性の違いのみならず、文字数の多さが表記変更の妨げとなっていることは否定のしようがありません。このような利便性重視による短縮化・単純化に伴い、固有の名称が纏う重要な意味もまた削ぎ落とされることとなります。

 

   ちなみに我が国の正式名称は「日本国」です(外交文書の和文テキストに用いられます)。では、私たちは「日本人」それとも「日本国民」こう書くと「いやいや。国家に関わらず、この地で生活を営む者が日本人なのだ」といった類のナイーヴな声が聞こえて来そうですが、そもそも「国家」の概念なくして「日本」は成立しません。国際社会の常識です。このように「国名」の表記ひとつを取ってみても戦後、私たちが何を優先して来たか、何を学ばなかったのか、を見て取ることが出来ます。