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   広島支局に駐在する新聞記者さんが、「被爆体験の風化はさほどでもない、と仰る被爆者がいる」と話して下さいました。「ほら、見てみんさい。8月になりゃあ、東京からもたくさんの記者さんがやって来て、わしらの話を聞いて、伝えて下さるじゃろうが」というわけです。お気持ちは痛いほどわかります。しかしながら、果たしてその通りなのでしょうか。

 

   マスメディアの人間は決して口にはしませんが (そこまで先読みしている記者が少ないこともあります)、同業者のひとりとして敢えて云わせて頂ければ、それもあと数年のことです。予言しておきます。おそらくは、「被爆80年」を契機に、広島に関する報道は激減します。なぜか? 答えは簡単です。身心共に健康な被爆者の方が殆どいらっしゃらなくなるからです。

 

   東京都内にお住まいの方はご存じのように、8月6日の「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」(平和記念式典)は、首都圏の地上波テレビではNHK総合でしか生放送されません (広島では、民放4局もすべて生中継で対応しています)。しかも放送時間は午前8:00〜8:35と短い。私が幼少期を過ごした関西エリアでは、もう少し長かったように記憶していますが、76年といった歳月を経て、「原爆報道」は徐々に縮小されつつあります。

   参考までに、同式典を最初にテレビ中継したのはラジオ東京(現・TBS)で、1957年8月6日午前8:00から特別番組として放送しています。NHKが生中継を始めたのはその翌年のことです。

 

   平和記念式典は、毎年恒例の”行事”です。献花、黙祷、平和の鐘。広島市長の「平和宣言」に続き、こども代表の「平和への誓い」があり、内閣総理大臣や広島県知事の「あいさつ」の後、『ひろしま平和の歌』が合唱されて閉式します。こうした式次第は毎年、同じであることから、マスメディアにしてみれば”変わり映え”がしない。式典だけではニュースバリューに乏しく、大きな記事にはなり得ません。

そこに被爆者の皆様がお話して下さるエピソードや平和への願いがあって初めて番組または記事として成立するわけです。悲しいかな「被爆者なき時代」となった10年後には、平和記念式典さえも「今日の出来事」として朝のニュースで5分ほど簡単に報じられるのみとなっているかも知れません。わざわざ広島まで来ずとも、被爆体験はもちろんのこと戦争の実態さえも預かり知らない歴史学者とやらのご大層なコメントでお茶を濁すこととなるでしょう。「まさか!」と思われるかも知れませんが、「犬が人を噛んでもニュースにはならないが、人が犬を噛めばニュースとなる」といった格言通りの習性を持つマスメディアとはそういうものです。

   出版界においても「広島」、「原爆」をテーマに据えた作品は、1980年代を境に減少の一途を辿っています。例え、文学賞を獲ろうが重版がかかるまでには数年を要する。端的に云えば、「広島関連本は売れない」。全国レベルでは最早、読者の関心が向いていない、ということです。

 

  マスメディアの露出が激減すれば、ただでさえ低い広島県外者の「原爆」、「被爆」に対する関心度は加速度的に薄まり、やがて忘れ去られてしまうでしょう。「8月6日って何の日だっけ?」。広島は、戦後最大のターニング・ポイントを迎えています。「ゆるやかな死」が始まっています。その結果、広島市はどのような事態に直面するのか。次回は、「被爆者なき時代」を迎える一地方都市・広島の近未来について私見を綴ります。