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広島を訪れると、市民はもちろんのこと地元政財界人の見通しの甘さがいやが上にも目につきます。市政、地域経済の中・長期的ヴィジョンに「被爆者なき時代」がまったく考慮されていない。「それと政治、経済とは別物じゃ」と安易に捉えている節があります。今更ながら、まずは歴史のお勉強から始める必要があるようです。  

この連載の「その①」でも綴ったように広島市の”現代”は、1945年8月6日を起点に始まり、好むと好まざるとに関わらず「被爆」と共に”戦後”を歩んで来ました。「76年も経ちゃあ、もう関係ないじゃろう」と、内心思っておられる市民も多いことでしょう。

 

では伺います。広島市の入込観光客数は、新型コロナウイルスが感染拡大する直前の2019年段階では1,427万人4千人を記録しています (内、一般観光客は1,209万7千人、修学旅行生等は33万人、外国人観光客は184万7千人でした)。彼らは一体、何を求めて「広島市」へやって来るのでしょうか? 同市に東京ディズニーランドやユニバーサル・スタジオ・ジャパンのような巨大なアミューズメント・パークはありますか? 東京スカイツリーやハルカス300のような高層建造物、または金閣寺や法隆寺といった世界に誇れる古刹はありますか? 

はい、その通りです。何もありません。ではなぜ観光客は、遠路遙々広島までやって来るのでしょうか? それは、そこに原爆ドームがあるからです。広島平和記念資料館があり、人類史上最悪の惨禍を自らの目で見て、耳で聴くためです。「被爆」の実相を知り、「平和」の在処を知るためです。

 

広島平和記念資料館の入館者数を見てみましょう。同年、同館には175万8746人が訪れています。つまり、広島市を訪問した観光客の内、実に約8分の1が同館を訪れている計算になります。海外からの入館者に限って云えば52万2781人で、約3分の1もの人々が同館を”旅行目的”としていたことがわかります(広島市経済観光局調べ)。こうした数字からも「原爆=被爆」は、広島市の観光産業にとって必要不可欠なコンテンツであることは明らかです。

 

「被爆者なき時代」を迎え、広島市を訪れたところで被爆体験を聴くことが出来ない、被爆遺構も思ったほど残されていない、となればどれほどの観光客が目的地としてこの地を選ぶでしょうか? 前回の連載でも綴ったように、マスメディアによる「原爆報道」が減れば、修学旅行を含め、他の目的地を選択する可能性も増えるでしょう。

「いや。資料館に来なければ貴重な遺品や原爆によって破壊された品々を見ることは出来ん」と、反論されるかも知れません。仰る通りです。これらの”モノ”たちは損傷、劣化から保護するため、館外への貸し出しはレプリカに置き換わりつつあります。門外不出。ただ、時代はデジタルへと移行しています。遅かれ早かれ資料館も、すべての遺品をインターネット上で見られる、AR (拡張現実) など最新の映像技術を用いて”体験”出来る”サービス”を提供し始めるでしょう。結果、同館における展示品も複製物となれば(被爆者の体験を語り継ぐ被爆体験伝承者も同じことです)、わざわざ広島まで足を運んで”本物”に触れたいといった人々の欲求を満たすことは出来なくなります。「自宅や学校からインターネットで見れば十分」といった人々が大半を占めるようになるはずです。

 

こうなると10年後、20年後に広島市を訪れる観光客は激減していることでしょう。宿泊施設や飲食店といったサービス産業、交通機関のみならず、第1次産業に従事する人々も大打撃を蒙ることとなります。被爆者がいなくなることによる経済的マイナス効果はいかほどのものか? こうした甚だ不謹慎な試算は、広島市当局も未だ行ってはいないはずです。ちなみに広島市経済観光局観光政策部が作成した『広島市観光概況』によれば、2018年の来広観光客の消費額は2,361億円でした(外国人観光客は396億円)。一人あたりでは17,670円(同じく22,230円)。今後、「被爆者なき時代」が到来すれば、少なくとも500億円程度の減収となり、税収も同じく大幅に落ち込むことは容易に予想されます。被爆者と共に、この街の経済発展も姿を消して行きます。

 

こうした自らが生まれ育った街に迫り来る”危機”から目をそらし、「ゆるやかな死」を傍観する広島市民の姿勢は、いかにして生まれたのでしょうか? 次回は、その理由に迫ります。