是非、ご覧頂きたい一編の動画があります。カンプチア人民共和国(現・カンボジア王国)とタイ王国との国境に、国連高等難民弁務官事務所(UNHCR)とタイ内務省によって設けられたカオイダン難民キャンプで1980年からボランティアをスタートさせ、今年3月まで40年間にわたりカンボジア王国で支援活動を続けて来た国際協力NGO 日本国際ボランティアセンター(JVC)の長年にわたる活動を記録した映像です。
私が、未だ内戦中のカンプチアに初めて足を踏み入れたのは1987年のことでした。当時、同国に常駐していた国際機関は赤十字国際委員会(ICRC)を除けばJVCしかなく(85年事務所開設)、この映像にも登場する熊岡路矢さん(元・JVC代表 現・顧問)には大変お世話になりました。また首都プノンペンでは、85年に設立されたJVCの自動車技術学校で修理技術指導をされていた故・馬清さん(元・プノンペン日本人会初代会長)からも貴重な助言の数々を頂きました(彼は、訓練生たちに国語や数学、社会道徳も教えておられました)。
その頃、この国で私が出会った人々の多くは、「被害者」であり「加害者」でした。ここで云う「被害」とは、愛する我が子が目の前で撲殺されるのを、泣き叫びながらもただ見ているしかなかった経験であり「加害」とは、幼馴染みや親戚、恩師らに自ら暴行を加え、レイプし、虐殺した経験でした。心に大きな闇を抱いた人々と真摯に向き合い、「希望」を与えることがいかに困難なことか。JVCスタッフの地道な努力に畏敬の念を覚えたことを、私は今でも鮮明に覚えています。
地獄からの生還は、容易いものではありません。「生きること」の意味を説き、「生きるため」の手立てを伝える。アフガニスタン・イスラム共和国で兇弾に斃れた中村哲医師と同じく、偏見を排し、忍耐強く淡々と、継続的に彼の地に生まれ育った人々と同じ目線で接することでしか、真の”援助”は成り立ちません。主義主張や思想信条がいかに無力であるか、寧ろ、弊害となるかを私は、この国で身を以て学んだように思います。私が、生半可な知識をふりかざす無責任極まりない観念論を忌み嫌う理由がここにあります。
米大学を卒業し、海外と云えば欧米しか知らなかった私が、欧米を中心に取材活動を続け、観光客でも自由に出入国出来たアジア諸国だけを巡っていたらどうなっていたか。当時はまだ鎖国状態にあったベトナム社会主義共和国、そして内戦状態にあったカンプチアを訪れなければ私の世界観は、今とはまったく異なったものとなっていたでしょう。その意味において、ベトナムとカンプチアは、私のジャーナリストとしての原点とも云える国でした。
JVCは、井戸掘りなど水の確保に始まり生態系に配慮した持続的農業を中心とした支援活動を行い、野菜栽培など農業技術指導を実践することで安定的な現金収入の道を開くと共に(フード・セキュリティ)、コミュニティの再生を図って来ました。その後、日本政府がカンボジア復興に主導的役割を担った際には、日本国内のNGOを束ねる『カンボジア市民フォーラム』を起ち上げ、UNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)と共に政策提言型のアドボカシーを行い、カンボジア社会の自力再生に多大な貢献を果たしました。
JVCは現在も、ラオス人民民主共和国や南アフリカ共和国、スーダン共和国、パレスチナ(東エルサレムとガザ地区)などで栄養支援や巡回健康診断、教育環境の改善支援、農業技術研修を行っています。ボランティア参加や募金についてはこちらの公式サイト (https://www.ngo-jvc.net) をご覧下さい。
笑顔は、神が人類に与えてくれた宝物です。笑顔を奪い去ることほど残酷なことはありません。ひとりでも多くの人々が、いつまでも笑顔でいられるように、あなたの笑顔を見せて下さい。
1980年の創設以来、私も訪れたカオイダン難民キャンプでの難民支援を皮切りに、JVCは職業訓練や持続的農業など様々な分野でカンボジア王国の復興に貢献して来ました。