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   軍事クーデターによって引き起こされたミャンマー連邦共和国の危機的状況を聞き知り、このブログを読んで下さっている皆さんの中にも、正直なところ「またどこぞのアジアの”後進国”で政変が起こったのか」と、思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

2011年3月の民政移管を契機に同国では経済改革が押し進められ”アジア最後の市場”、いわゆるラスト・リゾート (Last Resort) として海外からの直接投資も増えたことから年率8%を超える高成長を記録しました。しかしながら、名目GDPが 770億ドル(2019年)となり世界最貧国から70位にまで躍進を遂げたものの、英国による植民地時代から独立を経ても尚、政治経済は軍閥によって支配され続けて来ました。

 

ならばミャンマーの民度は低いのか? “後進国”なのか? 固定観念に絡め取られていればそう思われても致し方ありません。しかし、ここはひとつ現実をしっかと見詰め直しましょう。今、ミャンマーでは全国各地で何十万人もの一般市民が「民主主義」と「正義」を勝ち取るべく丸腰で、武装した治安部隊に立ち向かっています。彼らは、意識の高いエリート層だけではありません。市井のおじちゃんやおばちゃん、小・中学校の生徒たちもが、いつ銃弾を浴びるかもわからないデモに挙って参加しています。同国の人権団体 政治犯支援協会(AAPP) の調べによれば20日の段階で、これまで抗議デモに加わった人々の内、少なくとも247名が治安部隊によって殺されています。また2,345名が政治犯として収監されています。

 

翻って我が国は、日露戦争から太平洋戦争終結に至るまで、実質的に帝国陸海軍によって国政を牛耳られていました。結果、日本軍はミャンマーを含むアジアの国々を侵略し、多数の人々を殺傷しただけではなく太平洋戦争中、約310万人(軍人・軍属約230万人、民間人約80万人。全人口の約4%) もの同胞の命をも奪い去りました。

皆さんは、戦前・戦中の軍国主義を今になって声高に批判されますが、ならばお尋ねします。当時、私たち日本国民が全国規模で、軍に対して反旗を翻したことはあったでしょうか? 一致団結して「市民的不服従運動」(CDM: Civil Disobedience Movement) を展開したことはあったでしょうか? ありません。ただの一度もありませんでした。残念ながら私たちは、これまで自らの手で民主主義を獲得した経験はありませんでした。

この一点においても、ミャンマーの人々の志と勇気がいかに崇高であるかがわかります。彼らは、1988年の民主化運動 (「8888」と称されます) において数千人もの死者を出し、敗れ去りながらも挫けることなく、再び起ち上がりました。”民度”とは、そういうものです。

 

 

軍事クーデターから2ヶ月足らずが経過した今に至っても、日本のマスメディアにおけるミャンマー情勢のニュース・バリューは低いままです。彼ら、いや私たちの中にも今回の”事件”を単なるローカル・ニュースと見做す傾向があります。なぜか? 国際感覚が欠如しているだけではなく、事の本質を理解していないからだと云えるでしょう。ヒューマニズムだけで云っているわけではありません。米国を始めとする欧米各国、そして世界中の人々がミャンマー情勢にシンパシーを寄せる理由は明快です。彼らも、かつて民主主義を獲得するために夥しい血を流した経験があるからに他なりません。多くの人々は、民主主義を手にすることがいかに困難であるかを経験値として知っています。

さらに現在進行形の同国における民主化運動は、非暴力主義 vs. 軍事独裁政権といった図式となっており、近代政治史においても極めて稀なケースと云えます。ミャンマーの人々の闘いが今後、民主化を求める人々のお手本となり、試金石となる可能性をも秘めています。

 

マスメディア関係者の、想像力の欠如もその一因です。歴史を繙けばわかることですが、軍事クーデターが生じれば、軍はまずテレビ局を制圧し、新聞の発行を差し止め、現在であればインターネットを遮断し情報操作を行います。ミャンマーでも管理下に置かれた国営放送局以外のテレビ局は免許を剥奪され、一昨日には私がフォローして来たヤンゴンの独立系テレビ局『Mizzima TV』の元・首都ネピドー担当エディター ウ・タン・ティケ・アング氏と英BBCのビルマ語放送局のウ・アング・トゥラ氏が治安当局によって逮捕されました。これまでに30名以上の外国人ジャーナリストも身柄を拘束されています(治安維持法により3年以下の懲役に科せられる可能性があります)。

 

自戒を込めて、シミュレーションしてみましょう。高品質の撮影・録音機材が使えず、輪転機が止められても、あなたはスマホ 1台、ペン 1本を持って現場に駆けつけ、取材を続けられますか? 弾圧を受けても市民に事実を伝えられますか? 取材活動の原点も、ミャンマーの人々は私たちに教えてくれます。「どこぞのアジアの”後進国”」は、実は私たちに最も大切なことを、身を以て教えてくれているのです。さて、あなたには、民衆の歌が聞こえますか? 共に歌う覚悟はありますか?

 

 

【写真】 『Mizzima TV』のフェイスブックより転載。

 

ミュージカル『レ・ミゼラブル』(Les Misérables)の劇中歌”Do You Hear The People Sing?” (民衆の歌が聞こえるか?) に乗せて、1988年の民主化運動を捉えた画像から始まり、現在の抗議デモの様子が映し出されます。1832年パリ。シャルル10世の専制君主政治に反旗を翻した学生や市民たちによって七月革命は起こります。この歌は、バリケードの中で歌われる設定となっていましたが、まさに今のミャンマーの現状を象徴しています。歌詞にある”When the beating of your heart  Echoes the beating of the drums “(胸の鼓動がドラムのリズムと共鳴し合い) の如くミャンマー国民は、夜になれば鍋や空き缶を叩いて反軍政を訴えています(オープニング・シーンの意味がここで繋がります)。

後半では、米国のプログレッシブ・バンド カンサスが1978年に発表した『Dust in the Wind』の替え歌『カバマチェブー』 (世界が終わるまで私たちは諦めない) が歌われていますが、この曲は1988年当時からミャンマーで歌い継がれる革命歌です。

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