先日1日に起こったミャンマー連邦共和国における軍事クーデター以降、ミン・アウン・フライン国軍総司令官を議長とする国家行政評議会(軍事独裁政権)は、無抵抗な民衆に対する弾圧を日増しに強めており、同国の人権団体 政治犯支援協会(AAPP) の調べによれば、この2ヶ月間で 536名もの市民が治安部隊によって殺害されています(昨日現在)。加えて国軍の常軌を逸した武力行使は、最も懼れていたパンドラの箱をも開けつつあるようです。それは何か。英国による植民地時代から尾を引く民族問題です。
先にも綴ったようにミャンマーには、135もの民族が共存しています。アジアの国々では一般的でありながらも、日本人には理解し辛い多民族国家です。英国は狡猾にも、人口の 70%を占めるビルマ族を敢えて冷遇し、少数民族を優遇する分割統治を用いて諸民族を反目させ、植民地支配を優位に進めました。独立後、実権を握ったビルマ族は積年の恨みから少数民族を迫害し、耕地面積が極端に少ない北部や東部、西部の山岳地帯へと追いやります。
こうした圧政に耐えきれず、少数民族は自治権の拡大を目指し、武装化へと傾いて行きました(基本的に彼らは「独立」を求めているわけではなく、明確な自治権を有した上で連邦制国家に加わりたい、と願っています)。代表的な反政府武装組織には、東部山岳地帯を拠点とするカレン民族同盟(KNU) の軍事部門であるカレン民族解放軍(KNLA) や北部カチン州のカチン独立軍(KIA)、ミャンマー民族民主同盟(MNDAA)、アラカン軍(AA)、シャン州復興評議会(RCSS)、モン国民解放軍(NMSP)、タアン民族解放軍(TNLA)などがあります。
ここに興味深いデータがあります。ミャンマー情勢をカバーしているブログサービス『ミャンマーナウ』がまとめたグラフですが先月27日、治安部隊によって1日に殺害された 114名の犠牲者の居住エリアを図式化したものです。歴史的に中央とは対立関係にあるマンダレーが 40名と突出しており、続いて2006年まで首都であったヤンゴンが続きます。その他、カチン(Kachin) やシャン (Shan)、モン(Mon) といった地名が見られますが、これらはいずれも少数民族が多数居住している地域です。
今月に入り、国軍が同国南東部のカイン(カレン)州に空爆を繰り返していると報じられていますが、これはKNLA に対する攻撃であり、数千人にも及ぶ避難民(主にカレン族)がタイ国境に殺到しています(国軍にもかなりの死傷者が出ています)。しかしながら、こうした戦いは昨日今日に始まったものではなく、私が同地域に潜入した30年ほど前にもすでに繰り広げられていた”内戦”です。
市民的不服従運動(CDM)を続ける丸腰の一般市民たちは、血も涙もない治安部隊にしてみれば赤子の手をひねるようなものですが、長年にわたり国軍と戦闘状態にあるこれら少数民族の”軍隊”となると、一筋縄では行きません。ゲリラ戦に長じた少数民族は決して殲滅されることはなく、また民族の誇りを持って闘っているため、降伏することもあり得ません。
アウン・サン・スー・チー氏率いる国民民主連盟(NLD) の議員らによってクーデター後に設立された連邦議会代表委員会(CRPH) は、こうした少数民族を取り込むべく新たな”連邦軍”の創設を打診しています。国軍と比較すればこれら反政府武装組織の戦力は微々たるものですが、”国民的和解”を掲げることで国際世論の支持を得ようといった思惑も見え隠れします。
しかしながら、半世紀以上にもわたる民族差別を解消することは容易ではありません。かつて国軍が西部ラカイン州に住むイスラム教少数民族のロヒンギャを殺戮し、隣国バングラデシュ人民共和国へ50万人を超える難民が流入した際、NLDの実質的トップであったアウン・サン・スー・チー氏でさえ国際司法裁判所において「民族大量虐殺(ジェノサイド)はない」と、ビルマ族に配慮せざるを得なかったことを彼らは決して忘れてはいません。
一方、軍事独裁政権も少数民族の反政府武装組織と、暫定的にせよ停戦に持ち込むべく工作を進めており、先月27日の「国軍記念日」に催された軍事パレードには民主カレン仏教徒軍(DKBA) やアラカン解放党(ALP)、モン国民解放軍(NMSP) が列席しましたが、最も屈強なカレン民族解放軍(KNLA) は参加しませんでした。
私が1988年に、ミャンマー東部カレン州の山岳地帯でモン国民解放軍(NMSP)を取材した時の記事(『アサヒグラフ』4月8日号)。
そうした中、全国的な市民的不服従運動(CDM)の高まりを受け、反政府武装組織がこの期に乗じて統一戦線を構築する動きが出始めています。元々、民族や信仰、習俗、生活環境が異なる民族同士であるため、統一行動を取ることは難しいとされていますが、少なくとも国軍にとっては頭の痛い問題です。
一般市民の中にも少数民族の反政府武装組織が戦線に加わることを歓迎する声も聞かれますが、すでに抗議デモにおいて一部の若者たちが火焔瓶や投石、パチンコを用いた反撃を始めていることから、武装組織が参戦することで市民に銃器が渡る懼れがあります。
虫けらのように為す術なく殺戮されることに耐えきれず、自らの命を守るため自衛に起ち上がる気持ちは痛いほどわかります。しかしながら、こうした傾向がさらに強まるとCDMの理念は崩壊し、本格的な内戦状態に突入することとなります。
残念ながら、公正世界信念が常に実現出来るわけではありません。しかしながら、現在のミャンマー情勢は、今後の民主主義の行方を占う極めて重要な闘いです。最悪の事態を回避すべく、国際社会は速やかにアクションを起こし、国家行政評議会が一日も早く市民に対する武力鎮圧を停止するよう圧力をかける”統一行動”を取ることが強く望まれます。
カチン独立軍(KIA)やアラカン軍(AA)、全ビルマ学生民主戦線(ABSDF)らによる北部同盟軍のプロモーション・フィルムです。先月13日にアップされた映像ですが、北東部カチン州でシャン族やカレン族、カチン族、チン族、そしてビルマ族の若者たちが共に軍事訓練を行っている様子が窺えます。