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   某・芥川賞作家さんが「五輪の放送権を持つアメリカのNBCが、聖火リレーを痛烈に批判したことが話題になっている」と、新聞に寄稿しておられました。「これは一大事っ!」とばかりに早速、米NBCテレビの公式サイトを辿ってみたところ、確かに先月25日付で”Amid Covid fears, Tokyo Olympic Games’ torch relay kicks off. It should be extinguished.” (新型コロナウイルス禍の真っ只中、聖火リレーが始まったが、これは”消火”すべき)といった”投書”が見つかりました。

  「もしや?」と思い、筆者をチェックしてみたところ案の定、去る2月11日に”Tokyo Olympics head Yoshiro Mori called out by Naomi Osaka and others for sexism. He must go.” (大坂なおみ選手らに性差別主義者と非難された森喜朗会長は辞任すべき)と題された”投書”で物議を醸したオレゴン州のパシフィック大学・政治学部で教鞭を執るジュールズ・ボイコフ教授でした(詳細はこの連載の「その③」をご覧下さい)。掲載されていたのは、前回と同じく「投書欄」の”オピニオン、アナリシス、エッセー”ページです。

 

驚かされるのは、こうした一個人の”投書”を、日本のマスメディアがさもNBCの「公式見解」の如く報じている点です。原文にあたればすぐにわかることなのですが、マスメディアが「ニュース」として扱ったがために、この作家さんのように真に受けてしまう、または我が意を得たりとばかりにSNSで拡散する人も現れて来てしまうわけです。

日本に置き換えて考えてみましょう。全国紙の「社説」ならまだしも、東京キー局の公式サイトの「投書欄」です。まずもって、どれだけの視聴者が目を通すでしょうか。況してや、同局の役員でもプロデューサーでも、ディレクターでさえない局とはまったく無関係な人物が披瀝した”意見”を、同局の「公式見解」と見做す人など果たしているのか。万が一にもいたとすれば、余程おめでたい人でしょう。

様々な意見があることは極めて健全かつ大切なことです。世論を喚起することもマスメディアの大切な役割です。しかしながらそれは、正確かつ偏りのない情報提供があって初めて成り立つものです。そうでなければ真っ当な議論は成立しないどころか、偏向した世論誘導にも繋がります。この国のマスメディアの外信部は、一体どうなってしまったのでしょう。私如きがこう云っては何ですが、あまりにもレベルが低すぎる。

 

さて、肝心のボイコフ教授の”投書”を繙いてみましょう。要は、「新型コロナウイルス禍の最中に、聖火リレーを実行するのは無謀であり、東日本大震災の被災地である福島からも反対の声が挙がっている」というものです。この”意見”には一理あります。私も、聖火リレーは中止すべきといった考えを持っています。

ただ、話を面白おかしくしたかったのでしょうか。聖火リレーに絡んで日本オリンピック委員会(JOC)とナチス・ドイツを暗に結びつけている。これは、オリンピックの政治史に関する著書もある研究者としてはあまりにもお粗末。論点が飛躍し過ぎています。

 

聖火リレーが、ナチス・ドイツの”発明”であったことは事実です(詳細は拙著『国旗・国歌・国民〜スタジアムの熱狂と沈黙』をご一読下さい)。古代オリンピック発祥の地であるギリシャでは、屈強な全裸の男性たちが聖火の灯された葦をリレーし、アッティカ地方の港湾都市ピレウス(古代名はペイライエウス)からアクロポリスのプロメウスの祭壇まで運んでいました。第11回オリンピック・ベルリン大会(1936年)で、ナチス・ドイツはこの”儀式“を復活させたわけです。

同大会の開会式では、国旗であり国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス・ドイツ)の党旗でもあった鉤十字(ハーケンクロイツ)を掲げて入場行進し、選手宣誓も「オリンピック旗」ではなく、この国旗を手にして行われるなど、同大会はナチス・ドイツの優位性を国内外に知らしめるべく、ナショナリズムが前面に打ち出されました。よって聖火リレーが、”国威発揚”の文脈にあることは確かですが、その主目的は軍事目的であったことは押さえておく必要があります。

 

ベルリン大会では、ギリシャのオリンピアで採火された灯を約3,000キロ離れたベルリンのメインスタジアム『ベルリン・オリンピアシュタディオン』まで、3,075名ものランナーたちが1キロずつ運ぶといった壮大なプランが、ベルリン大会組織委員会事務総長でオリンピック研究の第一人者でもあったカール・ディームによって考案されました。

ブルガリア王国(現・ブルガリア共和国)からユーゴスラビア王国(現・セルビア・モンテネグロ国家連合)を経てハンガリー共和国(現・ハンガリー)、オーストリア共和国、チェコスロバキア共和国(現・スロバキア共和国) など7ヶ国に跨がる聖火リレーのコース周辺の道路事情や地形は、聖火リレーといった大義名分を掲げたナチス・ドイツによって事前に隈無く調査され、得られたデータは、後にドイツ軍参謀本部が兵要地誌調査に活用し、第二次世界大戦ではこのルートを逆に辿る形でドイツ軍のヨーロッパ侵攻が行われました。

つまり、ナチス・ドイツによって行われた聖火リレーは軍事戦略の一環であり、これを今回の問題と同列で論じることは適切ではないどころか、我が国に対する誹謗と云っても良いでしょう。

 

我が国におけるオリンピック開催の是非については議論が伯仲しています。それだけにマスメディアは、情報の精度をこれでもかと吟味した上で、中立の立場で報じることが何よりも求められます。今回のこの”投書”など、ひと昔前であればデスクから記者に対して「おい、きっちり裏取りしたのか?」と、ダメ出しされたレベルの”ネタ”に過ぎません。

オリンピック開催の是非はともかく、私にはこうしたマスメディアの質的低下が気になります。些細な事と思われるかもしれませんが、こうした誤報・誤謬が積み重なることで、大きな誤解は引き起こされます。情報操作は、必ずしも為政者がダイレクトに行うわけではなく、マスメディアが世論を熟成させた結果、民意が盲目的に暴走を始める。それは、私たちが先の戦争で学んだことであったはずです。

 

ちなみに「聖火」は、英語では単に”Olympic flame”、フランス語では”Flambeau Olympique”と表され、「聖」といった属性はありません。我が国の新聞紙上において「聖火」の表記が現れるのはベルリン大会以降。当時、ドイツ国(現・ドイツ連邦共和国)との間で外交交渉の大詰めを迎えていた『共産「インターナショナル」ニ対スル協定及附属議定書』(日独防共協定)に配慮すると共に、日本独自の競技である駅伝とも相通じる「リレー」に神性を、意図的にオーバーラップさせたものと考えられます。

 

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