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   広島県が所有する3棟の旧・広島陸軍被服支廠倉庫について、県は耐震化を施す方向で調整に入り今月19日、県議会総務委員会に基本方針が示されました。未だ正式決定に至ってはいないものの同・議会最大会派の自民議連も耐震化容認へと傾いており、県は来月24日に開会する県議会定例会に提案する21年度補正予算案で、実施設計費の計上をめざす方針であることから、3棟の保全はまず間違いないと見て良いでしょう。

1年半前から一貫して3棟に国所有の1棟を加えた全棟保全を訴え、独自の利活用法を数度にわたり提案して来た私としては、これほど嬉しいことはありません。広島県、そして湯崎英彦知事の英断にまずは喝采を送りたいと思います。

 

  とは云え、ならばこれで万事丸く収まるかと云えば、そうは問屋が卸しません。本当の茨の道は、実はこれからです。と云うのも、驚くことに現時点において県は、具体的な利活用策を用意していません。今月19日に開かれた県議会総務委員会で「3棟の耐震性を確保しつつ、内部見学など最小限の利用が可能となる安全対策を実施し、必要な予算の検討を進める」と、今後の方針について一応の説明はしています。しかしながら、いかなるプロジェクトであれ、まずはマスタープランがあり、明確なゴールに向かって予算はもちろんのこと作業工程やスケジュールが策定されるのが世の常識です。「使い道は決めていないけれども、ひとまず残す」などといった無為無策は民間レベルでは通用しません。

全棟保全を目指して尽力して来られた方々には冷や水を浴びせるようで心苦しいのですが、個人的には非常に嫌な予感がしています。「どのように使うかは、これからゆっくり考えればええじゃろう」と仰るかも知れませんが、残念ながらそういった甘い考えでは活路は見出せない。百年の計なくして実りある未来は望めません。

 

まずもって忘れてはならないのは、被服支廠倉庫の全棟保全は、広島県民の信任を得たわけではないということです。おそらく県民の半数以上は無関心または反対の立場を取るものと思われます(先に県が提示した1棟保全案であれば賛否は拮抗したでしょうが、全棟保全ともなれば賛同者は全県民の2割にも満たないでしょう)。また、広島市民からも懐疑的な意見が数多く聞かれます。さらには、全棟保全といった当初目標がほぼ満願で達成されたことから、地元メディアの露出が今後は激減すると共に、保全賛成派のテンションも一気に下がることが予想されます(既にその兆候が現れています)。

最大の理由は、耐震化・保全にかかる膨大な費用、大切な血税の使途を問うものです(交通の便が悪く周辺にめぼしい観光スポットがないため、当該エリアの再開発が困難であることも影響しています)。県の試算によれば被服支廠倉庫の補修にかかる工事費は概算で1棟当たり5億8000万円。3棟では17億4000万円にも上ります。特に新型コロナウイルス対策が遅々として進まない中、「県にそんな財政的余裕があるのであれば、医療関係者や経営破綻に追い込まれている飲食業者を援助するのがまずは先だろう」といった意見が続出しても何ら不思議ではありません。

今後、具体的な予算編成に入ればこうしたサイレント・マジョリティの反対意見が噴出するのは目に見えています。その時、どのような回答を県、そして保全賛成派は用意出来るのか。彼らを説得し、”民意”を形成するに足る建設的かつ現実的なプランを提示することが出来るのか。

 

こうした批判を見越して県は、3棟保全の”切り札”として被服支廠倉庫の「重要文化財指定」を目指すとしています。国所有の1棟についても、管轄官庁である文化庁は、「(指定に当たっては)建築史的な価値や歴史的な意義を中心に判断される」と説明した上で、広島市内最大級の被爆建物である同・倉庫には"一定の"「建築史的な価値」があり、「被爆の実相を伝える『歴史的な意義』もあるのではないか」との考えを示し、指定に値すると暗に示唆しています。その上で、指定に向けて県が実施する学術的調査に対し「専門的な助言を行う」とも明言している。

  首尾良く重要文化財に指定されれば、「修理」については補助対象経費の50〜85%、「防災・環境保全」の50〜85%、「管理費」についても補助対象経費の1/2が国から補助されるだけではなく、様々な税制優遇が受けられるといった財政的メリットが見込めます。つまり、ザックリ云えば県の支出は、当面10億円程度に収まる、といった皮算用です。

 

こうした国による財政補助は願ってもないことです。しかしながら問題は、「重要文化財」に指定されることで利活用法が極度に狭められるといったデメリットでしょう(詳細は今年2月27日に綴った本連載㉘をご一読下さい)。結論から云えば、用途としては文化財保護法が定める”現状維持”の範囲内に収まる博物館やイベントスペース、収蔵庫くらいしか見込めません。「それでいいじゃないか」と仰る方は、他府県の重要文化財(建造物)をお調べになってみて下さい。特に、被服支廠倉庫に近しい構造を持つ建造物はいずれも集客が見込めず、利益を生むこともなく、管理・運営費は自治体の持ち出し。いわゆる”ハコモノ行政”の”負の遺産”として、その大半が地方公共団体の”お荷物”となっているのが現状です。

 

「首尾良く」と書きましたが、ご周知の通り日本銀行広島支店旧営業所は、2000年に同行から広島市に贈与・無償貸与され同年、広島市指定重要文化財に指定されています。以来、国の重要文化財指定を目指して被爆の跡を残しつつ竣工当時の姿に復元し、耐震工事も続けてはいますが、20年以上経過した現在においても未だ”指定”されてはいません。重要文化財指定には、様々な条件が課せられるため一朝一夕に認められるというわけではありません。

その間、被服支廠倉庫も宙ぶらりんの立ち位置のまま暫定的な”文化施設”として”保全”と云えば聞こえはいいものの、”野晒し”にされるのでしょうか。広島大学旧理学部1号館も2013年に独立行政法人国立大学財務・経営センターから広島市が無償で取得していますが、8年経っても具体的な利活用法は定まっていません。こうした悪しき前例から云っても、被服支廠倉庫の行く末は自ずと予想出来ます。近惚れの早飽きは、建設的なプロジェクトには不向きです。

 

先々、大半の被爆者がいらっしゃらなくなった広島で、県民は果たしてこの建物の利活用法について賢明な判断を下せるでしょうか。悲観的な見方をすれば「さしたる利活用法もないことだし、重要文化財指定も諦めて、解体・撤去しようじゃないか」といった意見が大勢を占めてもおかしくない。

今、私たちが50年後、100年後を見据えて、”平和都市”広島の新たなアイデンティティを体現するスペースとして再生すべく知恵を絞り、楔を打たなければ被服支廠倉庫の末路は推して知るべしです。

 

  こうした危惧を唱える者は、広島でもまだ誰もいないようです。誰もが被服支廠倉庫を”墓碑”として残すことに腐心する余り、一向に前を向こうとはしていない。100年後の広島県人、そして日本人にとって有益な施設とは何か? 誰も考えようともしない。それでも私は、敢えてここに記しておきます。なぜならば1年後、2年後に気づいた時にはもう遅い。このままでは、この極めて貴重な被爆建物は、例え保全されようとも”過去の遺物”として朽ち果てるのを待つしかなくなります。今一度、原爆によって尊い命を亡くされた方々が、この建物に何を託したいと望まれるのか。真摯に想いを馳せる必要があるのではないでしょうか。