意外とご存じない方が多いのですが、ラテン・ミュージックの魅力は、自然と身体が動いてしまう強烈なリズムだけではなく、心がとろけてしまうような叙情的なメロディー・ラインにあります。ここに、中南米の人々のセンチメンタリズムを余すところなく伝えてくれる教科書のような歌とPVがあります。曲は、ラテン諸国で愛され続けているスタンダード・ソング『ある恋の物語』 (Historia de un amor) です。
作曲はパナマ人のカルロス・エレータ・アルマランで、兄弟の妻の死を悼み1955年に作られた名曲です。日本でも、トリオ・ロス・パンチョスやペレス・プラード楽団の演奏で火がつき、ザ・ピーナッツや坂本スミ子さん、アイ・ジョージさんらがカバーし大ヒットを記録しています。
まずは ”Ya no estás más a mi lado, corazón, en el alma sólo tengo soledad”(もう あなたは私のそばにはいない 心のひとよ 私の魂には ただ孤独があるだけ)といった切ない感情の発露から始まります。ところでこのイントロ、どこかで耳にしたことはありませんか? そう。和田弘とマヒナスターズや黒沢明とロス・プリモス、松尾和子といったムード歌謡で屡々用いられた導入です。1950年代、ロックンロールの洗礼を受けるまでの歌謡界は、ルンバやマンボ、チャチャチャといったキューバ系ラテン・ミュージックから多大な影響を受けていました。吉田正や吉田佐といった作曲家がこぞってダンサブルなアレンジを学んだ時代で、日本におけるラテン・ミュージックの黄金期とも云えるでしょう。
歌うはメキシコ合衆国の”都はるみ”ことグアダループ・ピネダさんです。これまでに1,500万枚ものCDを売り上げた民族音楽界の女王が切々と歌い上げています。PVを観てみましょう。メキシコの大農園が舞台となっています。農園主(patrón)の娘リアと小作人(peón endeudado)の青年との許されない恋です。スペインの征服者(Conquistador)によって、16世紀末にはアシエンダ(Hacienda)と称される大土地所有制度が彼の地にも確立されます。こうした大土地経営はやがてプランテーション農業へとその姿を変え、中南米諸国における半農奴的労働制度を定着させることとなります。
青年は、収穫中のレモンの花を摘み、姪っ子でしょうか、いたいけな少女にリアお嬢様に渡すよう命じます(ちなみにリアを演じているのはトップモデルのケイト・キングさんです)。しかしながら少女は、直接手渡すことはしません。同い年の少年、おそらくはリアの甥っ子でしょう。彼に花を託します。まさに目には見えない階級制度。何の変哲もないイメージビデオのようですが、物の見事に差別の構造を描き出しています。こうした身分制度によって引き裂かれる純愛。どこかで聞いたテーマ設定ですね。そう、典型的な演歌の世界観です。
〽 踏まれても耐えた
そう傷つきながら
淋しさをかみしめ
夢を持とうと話した
幸せなんて 望まぬが
人並みでいたい
(『昭和枯れすすき』作詞 山田孝雄より抜粋)
“¡ay!, qué vida tan oscura, sin tu amor yo viviré.”(嗚呼、何という暗い人生 あなたの愛なしで 私は生きていかなければならない)。間接キスと花の甘美な香りを分け合うことしか許されない青年とリアの淡い初恋は果たして成就するのでしょうか。答えは、誰も知りません。ただ、
〽 いいえ 世間に負けた
この街も追われた
いっそきれいに死のうか
力の限り 生きたから
未練などないわ