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戦後78年。詩人ユン・ドンジュ (尹東柱 윤동주) を、どれだけの日本人が知っているだろうか。どれだけの若者たちが、その夜空に燦めく星々の如き鮮烈なことばに、自らのこころを寄り添わせ、抱き締めているだろうか。

今月8日、台風の宵。紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA (東京・新宿) にて秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場の第131回公演『星をかすめる風』 (脚本・演出 シライケイタ) の初日を観る機会に恵まれました(今月17日まで。その後、全国32ヶ所で巡演されます)。

 

ことばとは何か?

 

별을 노래하는 마음으로                 星をうたう心で

모든 죽어가는 것을 사랑해야지    生きとし生けるものをいとおしまねば

그리고 나한테 주어진 길을       そしてわたしに与えられた道を

걸어가야겠다.           歩みゆかねば。

 

(『序詩』より抜粋。この和訳には様々な意見、解釈がありますが、ここでは同志社大学構内に建てられた詩碑にも刻まれている伊吹郷訳を用いています)

 

ユン・ドンジュ (尹東柱 윤동주) は、まさに詩の中に、ことばの奔流の渦中に生きたひとでした。知識の監獄に囚われ行動を起こさぬ者、文学こそが諸悪の根源と憎悪し排斥する者、武骨にも暴力によって人々のいのちを守ろうとする者、そして、掛け替えのないことばを救済し得なかったと懺悔する者。この作品には、ことばの意味を、いのちを賭けて探ろうとする人々が次から次へと立ち現れます。彼らは、ことばは人類が神から与えられし凶器と捉え、そこに希望を、夢を見出します。

 

ユン・ドンジュは1917年 (大正6年)、中華民国の間島 (現・中華人民共和国吉林省延辺朝鮮族自治区) で生を受けます。京城 (現・ソウル) の延禧専門学校 (現・延世大学校) 文科に進学し、卒業時に自選詩集『空と風と星と詩』を3部だけ制作しました。

42年 (昭和17年)、日本に渡り立教大学文学部英文科選科に入学し、半年後には同志社大学文学部英文学科選科に転入しています。英文学が専門であった私の伯父が、同志社女子大学の学長を務めていたため、幼少期から同校には親近感を覚えていました。ユン・ドンジュは、まさに伯父の先輩にあたります。

詩人ユン・ドンジュの人生はその翌年、朝鮮独立活動に携わっていた従兄のソン・モンギュ (宋夢) と共に、民族運動を煽動したとして治安維持法違反容疑で逮捕されたことから奈落の底に突き落とされます。44年 (昭和19年) には京都地方裁判所において懲役2年の実刑判決を云い渡され、福岡刑務所に収監。翌年2月16日、同所内で27歳の短い人生を終えました (死因不明)。それは、朝鮮半島を統治していた大日本帝国が敗戦を迎え、朝鮮民族が自主独立を取り戻す (光復 광복) 僅か半年前のことでした。

 

詩人ユン・ドンジュ (尹東柱 윤동주)

 

   なまえとは何か?

 

「私の名前は六四五番ではありません。

平沼東柱でもありません。

私の名前は、ユン・ドンジュ、です」

 

   この作品では、ウィリアム・シェークスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』を繙きながら、またユン・ドジュン (創氏名 平沼東柱) が無数の星々に母 (オモニ 오모니) を始めとする”個”を投影させたことを引き合いに出しながら、匿名性=全体主義の愚かさや創氏改名といった愚挙を、凡百の教条主義に染まった反戦口調ではなく文学的表現を用いて柔軟かつ狡猾に指弾して行きます。まさに生身の、体温を宿した抵抗の詩が綴られます。

 

우물 속에는 달이 밝고 구름이 흐르고 하늘이 펼치고  井戸の中には、月が明るく 雲が流れ 空が広がり

파아란 바람이 불고 가을이 있고 추억처럼 사나이가   青い風が吹いて 秋があって

있습니다.                     追憶のように 男がいます。

 

(『自画像』金時鐘訳 『尹東柱詩集 空と風と星と詩』より抜粋)

 

  近年、これほどまでに理知的に、しかしながら牧歌的に戦争に加担し、盲従し、苦悩し、破綻する普通の人々を描いた作品はあったでしょうか。原作となったイ・ジョンミョン作『星をかすめる風』 (鴨良子訳) に因るところが大きいとは謂え、練り上げられた脚本とテンポの良い演出。それにシンプルでありながらも理に適った舞台装置や照明が見事に合わさり、舞台に一陣の風を巻き起こしていました。ことばと関わるすべての人間は、必見の作品と云えるでしょう。

 

   さあ、夜空を見上げよう。そこには、何万年も前にこの地に生きた同胞たちも、同じように見詰めた星たちが燦めいています。さあ、なまえをつけてみよう。苛酷な拷問の末、友軍の駐屯地をロシア兵に漏らしてしまった彼は鈍い光を放つ23番、本の虫の彼は慎ましやかな520番、共に満天の星を愛でた母 (オモニ 오모니) は1,000番に値する。

   いや、そうじゃない。そうじゃないんだ。それは杉山道造、あれはユン・ドジュン、これはキム・リョン (金龍) なのだ。あなたのなまえは何ですが? あなたは、あなたを、あなたたらしめることばを持っていますか?

 

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