既報の通り、ミャンマー連邦共和国の国家統治評議会(SAC)によって6件の容疑をかけられ拘束されているアウン・サン・スー・チー氏は今月24日に出廷し、軍事クーデター後初めて、ミャンマー国営放送(MRTV)によりその姿が公にされました。この日、対面形式の審問に先立ち彼女には、弁護団と約30分の面会が認められています。
SACは、スー・チー氏が党首を務める国民民主連盟(NLD)を反政府組織(テロリスト)と断罪し、解体させると表明していますが、彼女は「NLDは、国民のための政党であり、国民がいる限り存続する」と、弁護団のダウ・ミン・ミン・ソエ氏に語ったと報じられています。次回の出廷は6月7日に予定されています。
“建国の父”アウン・サン将軍の娘であり、敬虔な上座部仏教徒(テーラワーダ仏教)としても知られるスー・チー氏は、全人口の約70%を占めるビルマ族から圧倒的な支持を得ています。民主化運動のカリスマ的リーダーとして国内外から注目を集め、1991年にはノーベル賞平和賞を受賞。英国を始めとする欧米諸国からも信任を得ました。
しかしながら2015年11月の総選挙においてNLDが圧勝し、翌年4月に国家顧問に就任していたスー・チー氏は、2017年にラカイン州(旧・アラカン州)に居住していたイスラム系少数民族ロヒンギャに対して国軍が行った”掃討作戦”について「民族浄化が行われているとは思わない」として一定の理解を示します(数千人が虐殺され、約70万人が隣国バングラデシュ人民共和国へ逃亡)。特に2019年12月に開かれた国連の国際司法裁判所(ICJ)に出廷した際には(原告はイスラム教徒が多数を占めるガンビア共和国)、ロヒンギャの武力勢力との闘いは「内政上の武力衝突」に過ぎないと喝破したことから国連の調査団は、同氏の国軍への影響力は皆無だったとは云え、彼女が軍事作戦に「共謀している」と指弾しました。
バングラデシュを始めタイ王国やマレーシア、インドネシア共和国といった周辺国もロヒンギャを”経済難民”として扱っており、”難民”としての受け入れを拒否する中、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は「(難民の流出を生んだ)ミャンマーが責任を負うべき問題であり、究極的にはロヒンギャらに市民権を与えることだ」と非難しましたが、同国は一貫して「テロリストに対する脅威を治安部隊が鎮めている」と主張し、現在に至るまで解決の糸口さえ見つかってはいません(バングラデシュ南部に点在する難民キャンプでは現在も、約87万人のロヒンギャが竹とシートで作られた簡素な住居での生活を強いられています)。
こうした歴史的経緯から欧米には、アウン・サン・スー・チー氏を信頼し、全面的に支援することを躊躇する傾向が見受けられます。これが今回の民主化運動に対する国際社会の動きが鈍い大きな要因ともなっています。国家統一政府(NUG)は、SACに対抗する手段として”連邦軍”の準備段階である国民防衛軍(PDF)の結成を公にし、少数民族の武装勢力にも参加を呼びかけてはいますが、ロヒンギャ問題によって135にも及ぶ少数民族たちも、決して諸手を挙げてNUGを信じているわけではないことは明らかです。
「民族融和」とは耳障りの良いスローガンですが、数世紀にもわたった虐殺・排除の歴史は一朝一夕に解決出来るものではありません。それだけに今回のミャンマー市民の闘いは、世界中の多民族国家にとっても他山の石として注目されています。21世紀、果たして人類の叡知は、旧社会の弊害を克服することが出来るのでしょうか。