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 広島県が所有する3棟の旧・広島陸軍被服支廠倉庫について、県は耐震化工事に着手する方針を固め、現在開催中の 6月定例会において、21年度一般会計補正予算に実施計画費とし6648万8000円を計上しました。21、22年度に3棟の”実施計画を策定”し、23年度から順次、安全対策工事に着手するプロトコルが承認されたため、これでひとまず直近の解体・撤去は回避されたこととなります。

 

そもそも広島県はこれまでも、被服支廠倉庫を何とか保全したいと考えていた節があります。1995年に日本通運が倉庫としての使用を終了し、県に譲渡した段階で、解体・撤去することも出来たはずですが (広島市は「旧日本通運出汐倉庫1~3号棟」として被爆建物台帳に登録しています)、同年には瀬戸内海文化博物館(仮称)としての可能性を探り、エルミタージュ美術館分館誘致の候補地として検討されたこともありました(2000年)。つまり、何らかの利活用法はないかと模索したものの、適切な方法を見出すことが出来ずに以降、2017年の耐震調査によって、「震度6強の地震で倒壊・崩壊する危険性」を指摘されるまで、20年以上にもわたり”放置”され続けて来たわけです。これは、県というよりも広島県民の無関心が生んだ悲劇と云って良いでしょう。

 

そんな同・倉庫の処遇について、県が一昨年12月に「1棟保全2棟解体・撤去」といった方針を打ち出しておきながら今回、急転直下 3棟すべてを保存する方向へと舵を切った最大の理由は、前回のこの連載でもお伝えしたように、国の重要文化財に指定される可能性が見えて来たからに他なりません。率直に云って、それ以外の理由はありません。

現存する最大級の被爆建物を出来れば保全したいとするものの巨額な予算を組むことの出来ない県は、新たな利活用法を定めることなく、見切り発車でこれに賭けた。云ってみれば最も消極的な方策を選択した、そうせざるを得なかったということです。苦渋の決断であったことは、担当する県総務局経営企画チームが、「安全対策後の建物の維持補修や将来の利活用が進んだ際に必要な、追加の耐震補強費などに対して、国からの支援を受けるためにも、将来に向けた取組として、重要文化財の指定に向けた調査を実施することについて、文化庁に説明し了解を得た」と、公にしていることからも明らかでしょう。

 

ならば被服支廠倉庫は、すんなり重要文化財に指定されるのか? と云えば、事はそれほど簡単ではありません。まずもって申請に向けて少なくとも数年間、長ければ旧日本銀行広島支店の例を挙げるまでもなく20年近くを費やして同・建物の歴史的・建造物調査を実施しなければなりません。結果、文化庁が求める建造物の価値を損なわない安全対策を施し、資料を揃えたとしても、いざ審査段階に入ると政治的思惑も加わるため先行きは不透明です。

文化庁が「耐震補強案は概ね妥当」と意見したのは、あくまでもテクニカルな側面であって、これをクリアしたからと云って必ずしも指定を受けられるとは限りません。重要文化財ともなれば地元財界のサポートを得ることはほぼ不可能となり、県民の大多数が「無関心」もしくは「全棟保全反対」を唱える中、県は孤軍奮闘せざるを得なくなるでしょう。当然のことながらこの間、被服支廠倉庫はこれまで通り宙ぶらりんの状態で”野晒し”にされ続けることとなります。

 

それでは、運良く被服支廠倉庫が国の重要文化財として指定された場合の利活用法について考えてみましょう。県総務局経営企画チームは、想定される活用分野として「博物館、ホテル、イベントスペース、eスポーツ施設、アーバンスポーツ施設、会議室等、平和の発信の場など」を挙げています。この内、「平和」とは直接関連性のないeスポーツ施設とアーバンスポーツ施設を除けば、ほぼ私の読みと合致します。言い方は好ましくはありませんが、国の重要文化財に指定されれば、この程度のありきたりなコンテンツ、利活用法しか承認されません。

 

まずは博物館もしくは美術館。他府県の例を見てもこれが重要文化財に指定された建造物の主な用途となっています。但し、本格的な美術館の管理・運営には膨大な資金を要するため、その大半が地元作家の作品を展示するローカルな施設となっています。広島県の場合、あくまでも個人的見解に過ぎませんが、芸術作品として国際的に広く認知されるだけの高水準を保っているいわゆる”原爆アート”は、丸木位里・俊夫妻の『原爆の絵』や遺品を写真に収めた石内都氏の作品など数えるほどしかありません。残念ながら地元作家の展示だけでは、新型コロナウイルス感染前に広島市を訪れていた年間 184万7000人にも上る外国人観光客(2019年)を惹きつけるだけの訴求力はありません。

また、広島には”原爆文学”関連資料を保存する施設がないため、資料館として活用する方法も考えられます。しかしながら「文学」は、ヴィジュアル・アートとしての展開が難しいため、こちらもさしたる集客は見込めない (また、これだけ広大な敷地を必要とはしません)。私の実家にほど近い鎌倉文学館は、文学館の代表格として知られています。同館には、年間10万人を超える人々が来館していますが、これは加賀藩前田家第16代当主 前田利為が建設した代表的な別荘建築といった付加価値があって始めて成立するもので、文豪の生原稿や初版本の展示だけではなかなか維持するのは難しいというのが偽らざる現実です。

 

会議室やホテル・スペースについて云えば、重要文化財となった暁には建築時の状態を保全することが絶対条件となるため、空調・配管設備を自由に追加することは難しく、大掛かりなリフォームも許されません(現在、予算計上されている県費は、あくまでも耐震性を確保するためのものであり、建物自体の老朽化に伴う補修工事費や新たな利活用法に則した改修費用は含まれていないことも押さえておく必要があります)。よって県民のための小規模な集会に使える程度の施設とならざるを得ないでしょう。とは云え、こうした会議室や集会場をどうしてもここに作らなければならないといった必然性があるわけではありません。文化庁が被服支廠倉庫を重要文化財に指定する基準は、「被爆建物」よりはあくまでも「現存する最古級の鉄筋コンクリート造建築物」に重きが置かれることは心に留めておくべきでしょう。

こうなると晴れて保全はされたものの、公共施設としての存在価値は決して高くはないため、被爆都市としての意識が薄まった50年後、いや早ければ10年後の県民がどのように捉えるか。同・倉庫が建つ南区は、現在は比較的商業活動が低迷しているエリアと云って良いかと思いますが今後、市中心部が手狭となり、再開発地域に指定された場合、敷地面積約1万2469平方メートルといった市街地にある広大な土地を「遊ばせている」ことに対する是非論が巻き起こることは火を見るよりも明らかです。個人的には、県が一昨年提示した「1棟保全2棟解体・撤去」に立ち戻るのではないかといった危機感を抱いています。

 

私はこれまで1年半余りにもわたり、この連載を通じて幾つかの利活用法を提案して来ました。そのいずれもが「平和」を基軸に据えたコンテンツです。被服支廠倉庫は、単に被爆の実相を伝える”負の遺産”としてだけではなく、「平和」の尊さを体現する新たな施設として再生すべきというのが私の考えです。加えて、可能な限り税金を投入せずとも単体で経営・運営が出来る収益構造を構築することで、将来の県民もその価値を認めざるを得ない施設に生まれ変わらせること、先々、解体・撤去されないように予め楔を打っておくことが我々の責務であると云えるでしょう。

今回、解体・撤去を免れたからと云って、被服支廠倉庫が未来永劫安泰といったことはまったくありません。重要文化財指定の可能性が消失した段階で撤去されますし、安全対策を講じる前に一部でも崩壊すれば保全反対論が一気に高まり同じ道を辿ることとなります。

 

私たちは全人類にとって掛け替えのない被爆建物である被服支廠倉庫が、100年後にもここにすっくと建ち続けていられるためにはどうすれば良いのか。近視眼的な対処法ではなく、長期的ヴィジョンに立ってその在り方、建設的かつ現実的な未来志向の利活用法を検討・実施しなければならない。それが私たち、辛うじて被爆者と接点を持つことが許された最後の世代の”役割”であることを今一度、肝に銘じるべきでしょう。