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 昨日は、東京・後楽園の文京シビックセンターで開催中の『文の京 区民平和のつどい 戦災・原爆資料展』(主催: 文京区、広島市、長崎市 後援: 東京都)に立ち寄って来ました(明日17時まで)。文京区は、平和首長会議(旧・平和市長会議)に加盟して今年が丁度10年目にあたります。展示物は、被爆の実相や歴史的背景を伝えるパネルや十数点の遺品、そして広島市立基町高校 創造表現コースの生徒たちが描いた「次世代と描く原爆の絵」 8点 (原画) などで構成されていました。

 

広島平和記念資料館に常設展示されている銕谷伸一ちゃん(被爆当時3歳11ヶ月)の三輪車や県立広島第二中学校(現・広島県立観音高校) 1年生だった折免滋さん(当時13歳)の黒焦げとなった弁当箱はレプリカでしたが、その複製技術に暫し目が止まりました。当然のことながら精巧に復元しなければならないだけではなく、”遺品”といった性質上、製作者は相当神経を遣ったはずです。

こうした遺品は経年劣化が激しいため、今後はレプリカ、つまり複製物を作り展示する、といった形態が増えるものと思われます。事実、広島の被爆者自身が描いた約4,200枚の「原爆の絵」は、NHKによって8Kの超高精細カメラで撮影され、デターベース化されています。独思想家ヴァルター・ベンヤミンが論じたように、オリジナルから「アウラ」(Aura)が剥ぎ取られたコピー(紛い物) が独り歩きすることで、被爆体験の継承にどのような影響が生じるのか。その是非を巡ってはこれから先、議論が起こるものと思われます。

 

広島、長崎の原爆被害、そして文京区を襲った東京大空襲の様子がひと通り学べる展示とはなっていましたが、ここからはちょっとした苦言です。こうした官公庁主催の展示会では良くあることですが、まずもって不特定多数の人々に「観てもらおう」といった意欲が感じられない。一定の制約があるのは理解出来ますが、会場のセッティングからプレゼンテーションに至るまで、ただ淡々と並べられているだけでメリハリがないため、通りがかった区民が「ちょっと観て行こうか」といった衝動に駆られることはまずありません(実際、来場者はまばらでした)。

何もプロジェクションマッピングやデジタルアートを駆使しろとまでは云いませんが、せめて「原爆」に対する関心度が極めて低い東京都内で開催する場合には、キュレーターを登用して見せ方に工夫を凝らすなど、コストをかけずとも効果的に訴求力を高める方法は幾つもあるはずです。

 

云うまでもなく両市共に、被爆者が高齢化し、被爆体験の風化が深刻となりつつあることは痛切に感じているはずです。であれば尚更、これまでのような”教科書的”な展示方法ではなく、より多くの人々に訴えかける”攻め”の方策を考えるべきでしょう。最早、「原爆」が一般の日本人には身近ではないといった現実を直視した上で、こうした展示方法も再構成して行かなければ、せっかくの貴重な展示品も活かされることなく、遅かれ早かれ一部の”意識の高い人々”のためだけのものとなる懼れがあります(すでにそうした兆候は現れています)。もう、ああだこうだと検討している時間は、残念ながら残されてはいません。10年前、20年前と何ら代わり映えのしない定型化されたパターンを繰り返しているうちに、時間は唯々過ぎて行き、気づいた時には手遅れとなる。被爆から76年を経て、今一度、被爆都市の責務とは何かを、真摯に考え直す時期に差し掛かっているのではないでしょうか。