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図書館とは何か? 「図書館法」(昭和25年法律第百十八号)を繙けば、第一章の第二条に、「図書、記録その他必要な資料を収集し、整理し、保存して、一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーシヨン等に資することを目的とする施設」と定義されています。その歴史は、文字文化の発生と共に始まり、古くは古代オリエントやエジプト、中国においても文献保存の場所として設けられ、ヨーロッパではギリシャのヘレニズム文化、中国では武帝が権勢を誇った前漢辺りから組織化されたと云われています。

現在の「公共図書館」といった形態は、1850年に英国議会を通過した「図書館法」が自治体に対して、”地域住民のための図書館”の義務設置を規定。これにより税金によって賄われる市民のための市民による図書館の基盤が形作られました。

 

仕事柄、利用する機会が多い私にとって公共図書館とは、取材・執筆活動には必要不可欠な”創造と知識のハブ・ステーション”です。皆さんは、図書館を単に「図書」を保存する「箱」と捉えてはいませんか? 然に非ず、現代社会における図書館は、”知の砦”であるのみならず、地域コミュニティのセンターとして機能する、またはそのように活用すべき極めて有機的な施設だと云えます。

 

さて広島市です。同市は、中区に建つ中央図書館の老朽化に伴い、同館を広島駅前にある「エールエールA館」(南区)へ2025年度にも移転する方針を固めたと云います。1974年に建設された同館の広さは、「映像文化ライブラリー」と「こども図書館」を加えれば延べ床面積約1万平方メートル。耐震設計が為されていない同館の建て替えまたは改修工事には膨大なコストがかかるため、市は建物そのものの再建は端っから考えていなかったようで、今回の既存の建物への”お引っ越し”といった方針を打ち出しました (ちなみに拙著の取材のため、同館へは幾度となく通い、大変お世話になりました)。

 

ちょっと待って下さい。広島市民はこれまで、この方針に対してまったく異議を唱えていないようですが、これで良いのでしょうか? (同市市会議員にも事前に要望書は示されていなかったため、市民にとってはまさに寝耳に水であったものとは思われますが…)。市民の”知識の宝庫”であるところの図書館を、スペースの空きが見込めそうだからといった安易な理由から、まるでレンタル・ショップのように商業施設へ移すことに何ら違和感は抱かないのでしょうか? 

市は、A館を選択した理由として「利便性」を挙げています。「25年度末までに、広島駅と歩行者専用橋で繋がるので便利になりますよ」と。広島市民は、このような知性の欠片も感じられない、寧ろ、沈思黙考を放棄したかのような説明で納得が出来るのでしょうか? サッカー場や百貨店の移転に大騒ぎするのもいいでしょう。しかしながら、この中央図書館の移転問題では、広島市民の”民度”が試されています。残された時間はごく僅かしかありませんが、数回にわたりこの問題について著してみたいと思います。

 

現在、広島市では今月14日(金)まで、『「広島市立中央図書館等の再整備について」に対する市民意見募集』を行っています(https://www.city.hiroshima.lg.jp/houdou/houdou/256478.html)ご意見がある、疑問を感じる「広島市民」は是非、手遅れとなる前にあなた自身の考え、要望を市に伝えて下さい。